新宿鮫~新宿寺院めぐり~

新宿は江戸時代は内藤新宿の宿場町として栄えた。
そのため、新宿御苑以外にも見所のある場所が多い。
例えば、新宿二丁目の住宅街の中にある浄土宗 太宗寺。

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太宗寺は「新宿ミニ博物館」に指定されていることもあり、実に見応えがある。

まず境内に入ると巨大な地蔵菩薩坐像が出迎える。

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これは、正徳2(1712)年に建造され、深川の霊巌寺、巣鴨の真性寺などと共に江戸六地蔵の1つにも数えられている。


また、その隣には「閻王殿」がある。

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中を覗くと、閻魔大王様がいらっしゃる。

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文化11(1814)年に安置されたもの。

また、奪衣婆像も。

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奪衣婆とは、三途の川で亡者から衣服をはぎ取り、その重さで罪の軽重を計る老婆。
この奪衣婆像は明治3(1870)年の作。


社務所の前に建つこちらの灯篭は、「切支丹灯篭」。
江戸時代に隠れキリシタンが礼拝したものと思われ、彫刻はマリア観音だとのこと。

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こちらが本堂。

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閻王閣の向かいにある不動堂。

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江戸時代に作られた三日月不動像が安置される。

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また、布袋像は新宿山の手七福神の1つ。

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すぐ隣にある塩かけ地蔵、
願掛けのお礼に塩をかける風習があるそうで、
すっかり塩まみれになっている。

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この辺りには江戸時代、信州高遠藩主の内藤家の屋敷があり、
「内藤町」という地名も残っている。
その内藤家の墓所も、太宗寺にはある。

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中央の内藤家5代・正勝の墓所は、新宿区の指定史跡になっている。
右が13代・頼直、左が内藤家累代の墓である。

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太宗寺から南に進み、靖国通りに出る。
すると、浄土宗 正受院がある。

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ここにも、奪衣婆像がある。

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一説には小野篁の作だとか。

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こんな像と針塚が。

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本堂。

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鐘楼。
梵鐘は、宝永8(1711)年に鋳造されたものだが、太平洋戦争の最中金属供出されたものの、
戦後アメリカで発見されて返還されたのだという。

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正受院の右並びにある浄土宗 成覚寺。

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境内はどこか鄙びた感じ。

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門を入ってすぐ右手にある六地蔵。

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本堂。

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境内左手にある「子供合埋碑」。
江戸時代に内藤新宿にいた「子供」と呼ばれる飯盛女を弔うために、万延元(1860)年に建てられた。

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また、入口入ってすぐ左手には、
浮世絵師・恋川春町の墓がある。
3つ並んだ墓碑のうち一番左手が彼のもの。

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墓碑の左にあるのは「旭地蔵」。
寛政12(1814)年に建てられた地蔵で、
宿場内で不慮の死を遂げた人たちを弔うためのもの。
別名「夜泣地蔵」。

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台座に刻まれたのは、7組の心中した遊女と客のものだそうだ。

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最後に、東の方に向かって歩いた。

新宿花園公園があった。

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公園の入り口のすぐ左手に石碑があった。
ここには、明治時代の言文一致運動にも功績のあった落語家の三遊亭圓朝が住んでいた。

圓朝が住んでいたのは、明治21(1888)年から28(1895)年までであったが、
ちょうど彼が寄席から身を引いていた時代であった。

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新宿というと、繁華街としての部分ばかりが目立っているが、
実際は長い歴史を持っており、
このように史跡の類もかなり盛りだくさんである。
こういった視点でぜひ散策してもらいたいものである。

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