君がいなければ~早稲田大学野球部~

野球好きは早稲田大学に進学してから加速したように思う。
早稲田大学野球部は東京六大学野球リーグに所属している。
とりわけ、ライバル慶応との伝統の早慶戦は、優勝争いとは別に盛り上がる。


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1993年に大学に入学した直後の春は、イベントとして早慶戦を観にに行っただけだったが、
その試合が歴史的な試合だった。
9回裏4―4の同点、2死満塁で打席に入ったのは早稲田の4番仁志敏久主将(94年卒、常総学院、元・巨人他)。
早慶戦史上初となるサヨナラ満塁ホームランを放ったのである。

秋から少しずつ早慶戦以外の試合も観に行くようになったが、
秋は1990年春以来となる優勝を遂げたのだ。
提灯行列で神宮球場から早稲田まで歩いたが、とても短く感じた。


本格的に神宮球場に通うようになったのは、2年生から。
夜間部である第二文学部(二文)に在学していたことを活かして、
土日だけでなく、月曜の試合も観に行っていた。

2学年上で4番も打った通算33勝の織田淳哉(95年卒、日向、元・巨人)、同学年の通算31勝の三澤興一(97卒、帝京、元・巨人他)という通算30勝以上を挙げたエースが在籍していたにも関わらず、
なかなか優勝に届かない。

当時の六大学野球は、早明法の3すくみ。
早稲田が法政に、法政が明治に、明治が早稲田に強かった。
それで優勝争いが最後の早慶戦までもつれるものの、
慶応が意地を見せて早稲田に勝つものだから、いつも最後に優勝を逃していた。

特に惜しかったのが、1996年春。
エースの三澤が獅子奮迅の働きを見せる。
勝とうが負けようが三澤を起用し続けた。
東大2回戦で2点リードの場面にまで三澤を投入したのだから、どれだけ2番手投手が頼りなかったかがわかるだろう。
にも関わらず、立教から勝ち点を落とし優勝を逃してしまった。

結局、在学中の優勝は1年秋だけで、
三澤が抜けた後は投手のやり繰りに苦しむ。
1998年春はいきなり開幕戦の東大に破れる波乱の幕開け。
かろうじて東大から勝ち点を奪ったものの、
その後史上初の8連敗でと5位に沈む。
同年秋は4位だったが、東大から勝ち点を落としている。

そんな中、ようやく藤井秀悟(00年卒、今治西、元・ヤクルト他)、鎌田祐哉(01年卒、秋田経法大付属、元・ヤクルト他)が成長してきて、
1999年春に優勝することができた。

2002年春はエースの和田毅(03年卒、浜田、現・ソフトバンク)の力投で優勝したのを皮切りに、初の4連覇を成し遂げる。
2003年は1番田中浩康(05年卒、尽誠学園、現・DeNA)、2番青木宣親(04年卒、日向、現・アストロズ)、3番鳥谷敬(04年卒、聖望学園、現・阪神)、4番比嘉寿光(04年卒、沖縄尚学、元・広島)、5番武内晋一(06年卒、智弁和歌山、現・ヤクルト)、6番由田慎太郎(04年卒、桐蔭学園、元・オリックス)という、
1番から6番まで全員が後にプロに進むほどの驚異の打撃陣を誇っていた。


さらに、2007年には早稲田実業のエース斎藤佑樹(11年卒、現・日本ハム)が加入し、
六大学野球の人気も盛り上がる。
この頃は、斎藤が投げる試合はいつも満員で、慶応側の席で早慶戦を観ざるを得なかったことさえあった。
斎藤と福井優也(11年卒、済美、現・広島)、大石達也(11年卒、福岡大大濠、現・西武)の3本柱で2010年秋には全国制覇も成し遂げた。


早稲田が最後に優勝したのは2015年。
春秋連覇を遂げたが、すでに三宅島に来た後だったのでどちらも優勝の瞬間を見届けることができなかった。
僕自身が優勝の瞬間を見届けたのは2012年春が最後(写真下)である。
また、ここ3シーズンまた早稲田は優勝から遠ざかっている。
さすがに少し間が空きすぎた気がするので、そろそろ優勝の瞬間に立ち会いたいものだ。


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一度、自分が観てきた早稲田大学野球部の思い出を書いてみたいと思っていたが、
ようやくごく一部だけ紹介することができた。
もちろん、まだまだ忘れられない試合や選手はいる。

神宮球場のスタンドにいると、時々オールドファンのおじいさんが思い出話を聞かせてくれることがある。
なんだか将来の自分もそうなっているような気がしてならない。

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