かまくら逍遥~北鎌倉2~
北鎌倉散策は続いて浄智寺へ。
古びた泉は、鎌倉十井の1つの「甘露の井」。
その奥の苔むした参道の先にある趣のある寺院が浄智寺。
鎌倉五山の第4位でもある。
三門は鐘楼を兼ねている。
浄智寺は5代執権・北条時頼が三男の北条宗政の菩提を弔うため弘安6(1283)年に創建。
横井戸は山の水を溜めて用水に使うために掘られたもの。
狸塚。
洞窟の奥には布袋様が待っていた。
明月院へは「あじさい寺」として知られる。
♪あじさいまでは、まだ間があるから…
明月院の由来は、平治の乱で戦死した山内首藤俊道の菩提のために、
その子・経俊が永暦元(1160)年に「明月庵」を創建したことに遡る。
その後、康元元年(1256)、北条時頼がこの地に最明寺を建立し、出家生活を送ったそうである。
その時頼を祀った廟所。
時頼の墓所もある。
本尊を祀る方丈。
開山堂は、明月院の中興の祖・上杉憲方を祀る。
明月院やぐら(羅漢洞)。
上杉慶方の墓と言われ、宝篋印塔が祀られている。
瓶の井土(つるべの井)も鎌倉十井の1つ。
長寿寺。
ここは休日のみの公開だそうだが、
この日は体育の日で祝日だったのが幸いだった。
足利尊氏ゆかりの寺院だそうである。
普段公開してないからだろうか、ずいぶんと神経質な寺院の印象を受ける。
観音堂。
裏手には足利尊氏の墓所もある。
京都の等持院にも墓所があったと思ったが、これは遺髪を納めているのだとか。
建長寺は、鎌倉五山の第1位。
北条時頼が日本最初の禅道場として開いた寺院である。
三門は国の重要文化財。
本尊の地蔵菩薩を祀る仏殿。
法堂。
方丈の入口である唐門。
方丈(龍王殿)。
庭園も見応えがある。
梵鐘は時頼発願によるもので、国宝に指定されている。
最後に、円応寺を訪ねた。
ここの見所は、本堂に安置されている十王像。
死後に人の生前の行いを裁く裁判官で、閻魔大王像は笑っているようにも見えることから「笑い閻魔」とも呼ばれている。
こうして再び鶴岡八幡宮の横を通って鎌倉駅へ帰って来た。
たくさん歩いたので、湘南ビールで疲れを癒す。
2日間の鎌倉散策は充実して楽しかった。
魅力的な寺社仏閣がたくさんあった。
しかし、これはまだ鎌倉の魅力のごく一部である。
また次の機会を楽しみにしよう。
古びた泉は、鎌倉十井の1つの「甘露の井」。
その奥の苔むした参道の先にある趣のある寺院が浄智寺。
鎌倉五山の第4位でもある。
三門は鐘楼を兼ねている。
浄智寺は5代執権・北条時頼が三男の北条宗政の菩提を弔うため弘安6(1283)年に創建。
横井戸は山の水を溜めて用水に使うために掘られたもの。
狸塚。
洞窟の奥には布袋様が待っていた。
明月院へは「あじさい寺」として知られる。
♪あじさいまでは、まだ間があるから…
明月院の由来は、平治の乱で戦死した山内首藤俊道の菩提のために、
その子・経俊が永暦元(1160)年に「明月庵」を創建したことに遡る。
その後、康元元年(1256)、北条時頼がこの地に最明寺を建立し、出家生活を送ったそうである。
その時頼を祀った廟所。
時頼の墓所もある。
本尊を祀る方丈。
開山堂は、明月院の中興の祖・上杉憲方を祀る。
明月院やぐら(羅漢洞)。
上杉慶方の墓と言われ、宝篋印塔が祀られている。
瓶の井土(つるべの井)も鎌倉十井の1つ。
長寿寺。
ここは休日のみの公開だそうだが、
この日は体育の日で祝日だったのが幸いだった。
足利尊氏ゆかりの寺院だそうである。
普段公開してないからだろうか、ずいぶんと神経質な寺院の印象を受ける。
観音堂。
裏手には足利尊氏の墓所もある。
京都の等持院にも墓所があったと思ったが、これは遺髪を納めているのだとか。
建長寺は、鎌倉五山の第1位。
北条時頼が日本最初の禅道場として開いた寺院である。
三門は国の重要文化財。
本尊の地蔵菩薩を祀る仏殿。
法堂。
方丈の入口である唐門。
方丈(龍王殿)。
庭園も見応えがある。
梵鐘は時頼発願によるもので、国宝に指定されている。
最後に、円応寺を訪ねた。
ここの見所は、本堂に安置されている十王像。
死後に人の生前の行いを裁く裁判官で、閻魔大王像は笑っているようにも見えることから「笑い閻魔」とも呼ばれている。
こうして再び鶴岡八幡宮の横を通って鎌倉駅へ帰って来た。
たくさん歩いたので、湘南ビールで疲れを癒す。
2日間の鎌倉散策は充実して楽しかった。
魅力的な寺社仏閣がたくさんあった。
しかし、これはまだ鎌倉の魅力のごく一部である。
また次の機会を楽しみにしよう。
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