エンマの数え歌~麻原彰晃死刑執行~
オウム真理教の麻原彰晃(本名・松本智津夫)尊師の死刑が執行されたという。
僕とオウム真理教の出会いは1989年頃に遡る。
翌1990年の総選挙に麻原彰晃尊師は真理党を結成して出馬した。
その彼が立候補した選挙区というのが、当時僕が住んでいた地域だったことから、
毎日のように彼の選挙戦を目の当たりにした。
駅前には尊師本人の姿をした着ぐるみが立ち、
あの「♪しょうこうしょうこう…」と名前を連呼する歌を流した選挙カーが町を走り回る。
当時はすでに坂本堤弁護士は殺害されていたのだが、そんなことは露知らず、
僕はオウムのことを微笑ましく見ていた。
当時はどこか風変わりな連中ぐらいにしか見えなかったのだ。
そんなわけだから、1995年の地下鉄サリン事件の時も、オウムの犯行だとは俄には信じられなかった。
事件の起きた千代田線はたまに通学に使うことがあったので、
絶対に事件に遭遇する可能性が無かったわけでは無いと思い、かなりゾッとした。
その後、オウムに対する疑惑が深まると、
上祐史浩(マイトレーヤ正大師)らオウム幹部がテレビに登場して反論。
その個性たるや、下手な映画の非では無かった。
最近高校生と話していて、彼らがオウム事件を歴史的な事件だと考えていることに衝撃を受けた。
彼らにしてみれば、生まれる前の出来事だからそれは仕方がない。
1974年生まれの僕が、よど号ハイジャック事件(1970年)や浅間山荘事件(1972年)に今一つリアリティを感じられないのと一緒だろう。
麻原彰晃の死刑執行によって1つの時代が終わったようにも感じる。
浅間山荘事件から23年経って、地下鉄サリン事件が起きた。
連合赤軍とオウム真理教の間には様々な共通点があったことが、当時から言われている。
そして今年は地下鉄サリン事件からちょうど23年である。
二度と同じことは繰り返してはいけない。
そのためにもこうやって事件を語り継ぎ、決して風化させてはいけないと思う。
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