新宿そだち~新宿散策~
知らない町はもちろんだが、知っている町だって改めて歩くといろいろな発見があるものである。
積極的にあちらこちらへ出かけていきたいと思っている。
なお、今回の町歩きは新型コロナウィルスが流行するかなり前の2019年5月16日の際のものである。
今回は新宿を散策した。
新宿は日本有数のターミナル駅であり、誰もが1度は利用したことがあるだろう。
新宿の地名の由来は、江戸時代に宿場として「内藤新宿」が設置されたことによる。
新宿東口を出ると、駅のすぐ近くに「旧青梅街道」を示す標識が立っているが、内藤新宿こそがかつての青梅街道と甲州街道の分岐点であった。
現在の青梅街道は新宿大ガードまでで、そこから東は靖国通りとなっている。
かつての青梅街道は、新宿駅東口からは新宿通りとなる。
新宿通りをしばらく歩いた。
新宿駅東口前広場へ出た。
広場に面している「新宿アルタビル」。
かつてここにあったスタジオアルタは2016年に無くなったが、今でも「STUDIO ALTA」の文字は残っている。
「笑っていいとも」の生放送が行われていたことで知られている。
東口広場は正しくは「ライオン広場」というらしい。
ライオンズクラブが維持管理している。
なので、ライオンがいらっしゃる。
このライオン、募金箱にもなっていて、お金を入れると咆哮する。
馬水槽「みんなの泉」。
馬に水を与えるためのもので、19世紀にロンドンから贈られた。
こちらは西条八十の詩碑。
武蔵野なりしこの里の
昔の姿偲ばせて
小畦の花のむれと咲く
ビルのネオンの赤き花
新宿通りを東へ。
新宿通りと靖国通りを結ぶモア街。
顕彰碑にはモア街建設に協力した企業等の名前が刻まれている。
紀伊国屋書店。
1927年創業の老舗書店。
建物は1964年にル・コルビジェに師事した前川國男が設計した。
伊勢丹本館は1933年にアール・デコ様式を取り入れて建造された。
紀伊国屋書店も伊勢丹本館も東京都の歴史的建造物に指定されている。
その伊勢丹のある新宿三丁目交差点。
ここに「新宿元標ここが追分」と書かれた道標が立ち、地面には当時の町の地図が描かれている。
つまりここがかつての甲州街道と青梅街道の分岐点であったわけである。
元標から新宿通り挟んで追分交番があるが、ここに「追分」の名前が残っている。
現在の甲州街道は新宿通りとは接しておらず、南に300メートルほど歩いたところにある。
ここからは甲州街道沿いに進む。
道はすぐに新宿御苑トンネルに入ってしまう。
都立新宿高校。
1921年創立の旧制府立第六中学が前身。
行く手には新宿御苑がある。
新宿御苑は入場料がかかるのだが、すぐ脇には「玉川上水・内藤新宿追分散歩道」があり、ここは自由に入ることが出来る。
もっとも玉川上水はここでは小さな小川ほどでしか無いのだが…。
しばらく緑の中を歩くと、趣のある建物があった。
旧新宿門とあり、かつてはここが新宿御苑の入り口だったようだ。
さらに進んで東側の出口へ。
ここにも趣のある建物が。
大木戸門である。
大木戸門を出てすぐ右手にある碑は「内藤新宿開設三百年記念碑」。
1998年に建てられた。
「大木戸門」の由来は「四谷大木戸」による。
その記念碑が、新宿通りをもう少し東に進んだ所に建っている。
四谷四丁目の交差点で新宿通りは甲州街道と交わる。
ここが現在の「内藤町」。
交差点にある大木戸ビル。
ここの5階と6階にはかつてサンミュージックが入っていた。
1986年4月、当時18歳だった岡田有希子はここから飛び降り、若い命を散らした。
新宿駅から四谷三丁目まで約45分の街歩きだったが、このように色々と面白い場所が点在しているのである。
新宿は決して高層ビルだけの町ではなく、歴史と伝統に溢れた地であることを痛感した。
(続く)
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