タイランドファンタジア~早稲田「メーヤウ」復活~

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毎日新型コロナウィルス関連の暗いニュースばかりで嫌になってしまうが、とても嬉しいニュースが飛び込んできた。
早稲田の激辛タイカレーの店「メーヤウ」が遂に7月4日に復活することになったのである。




2017年に閉店した「メーヤウ」は、その後も愛好家によって復活を目指す運動が盛り上がり、今年2月に募集が始まったクラウドファンディングは、目標額150万円を初日で達成。
最終的に428万円を集めた。


所在地は新宿区西早稲田2-20-5 1Fということなので、
副都心線西早稲田駅の近く、ディスカウントストア「オリンピック」の向かい辺りのようだ。
理工学部以外の早稲田大学からは少し遠くなるのは残念ではあるが、
待ちに待った「メーヤウ」復活。
今からとても楽しみである。

開店当初は「ポークカリー」と「チキンカリー」の2種類のみということだが、
いずれは「グリーンカリー」や「レッドカリー」も復活してくれるに違いない。


新生「メーヤウ」がグランドオープンする頃には、きっと新型コロナウィルスも収束しているに違いない。
必ず食べに行きたいと思う。



ハイスクールララバイ~学校再開~

緊急事態宣言の解除を受けてようやく都立高校も授業再開となる。
3月に臨時休業となってから約3か月ぶりの授業だ。

授業再開は6月1日だが、学校によっては5月中に登校日が設けられている。
僕の勤務校でも、学年ごとに日を分け、男子と女子が午前午後に分かれる形で分散登校した。
生徒の心身の健康状態の把握や課題の確認が主な目的である。
一度にクラスの半分しか揃わず、それも滞在時間は1時間程度なのだが、それでも学校再開というのは嬉しい限りである。
それにしても、僕は教師としては共学しか経験したことがなかったので、
男子だけ、女子だけのクラスというのはなかなか新鮮な経験であった。


もちろん、新型コロナウィルスの対策は徹底して行なっている。
生徒には登校前に家で検温をしてもらい、発熱があった場合は登校を控えてもらう。
教室に入る前には手洗いをして、必ずマスクを着用する。
ちなみに生徒には国から布マスク(アベノマスク)が1人2枚配布されていた。

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トイレの前の床にはソーシャルディスタンスを示す仕切りがあり、
生徒が帰った後も、教室は徹底的に消毒しなくてはならない。

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今後も生徒の登校人数を制限するなどしながら段階的に学校を通常の状態に戻すことになっている。
学校再開後しばらく(約2週間)は週1~3回、30分授業が1日3コマ。
さらにその後しばらく(約2週間)は週3~4日、40分授業を1日6コマとなる。
もっとも体育の体を接触する種目や音楽の器楽・合唱といった科目は感染リスクもあってやることができない。
部活動が再開されるの2週間後からだ。


スタートが2か月遅れた分を取り戻すために、夏休み・冬休みの短縮が決まった。
夏休みは8月8日から23日までと約1ヶ月短く、
冬休みは12月26日から1月3日までと4日間短い。

1学期中の学校行事の中止・延期はすでに決まっていたが、どうやら年内の学校行事も同様になる見込み。
今年、僕は2年生の担任で冬に修学旅行引率が決まっているのだが、それもどうなるかわからない。


何しろ、このような事態は初めてなので、しばらくは手探りで進めざるを得ない。
新型コロナウィルスの第2波も心配ではあるが、とにかくようやく2020年度がスタートしたのだから、生徒ともどもがんばっていくつもりだ。

それにしても、久しぶりに顔を合わせた生徒たちは抱き合って喜んでいた(主に女子)。
まったくソーシャルディスタンスも何もあったもんじゃない。
ちょっぴり、いやかなり心配である。



アウトブレイク~特別定額給付金~

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アベノマスクの配布に関しては正直僕もあまり賛成出来ないのだが、国民1人につき10万円を支給するという特別定額給付金(アベノマネー)に関しては歓迎である。
当初政府は収入が大きく減少した世帯に対し1世帯当たり30万円を支給するという形での支援を検討していたが、条件が厳しすぎるなどの批判が集まったため、急遽変更されることとなった。


もちろん、国民全員が一律10万円を支給されることについてもいろいろと批判がある。
例えば、そもそもは新型コロナウィルスによる生活支援が目的なのだから、給料が減らない公務員は受け取るべきではないという意見がある。
橋下徹・元大阪府知事などは、「受け取り禁止!とルール化し」違反者は「懲戒処分」にすべきと主張している。




湯崎英彦・広島県知事も県の職員が受け取る分は、基金に積み立ててもらうと発言したが、後に批判を受けて撤回している。




その一方で、松井一郎・大阪市長は、市職員には受け取ってから消費すべきだと、かつての盟友とは異なった主張をする。




松本武洋・神奈川県和光市長も、自らが率先して10万円を受け取ると主張している。




麻生太郎・財務相は「手を上げた方に1人10万円」と、自己申告制を提案していた。




公務員は受け取ってから全額寄付すべきとの声もある。
例えば兵庫県加西市でも、市の全職員から10万円ずつを寄付で集めることを想定した予算を組んだという。
強制ではなく任意だというのだが…。



一応東京都の職員である僕自身は、10万円は当然受け取って消費に回すつもりである。
もちろん、受け取らないのも、寄付に回すのも、それは個人の自由であるから、やるのは大いに結構。
ただそれはあくまで自主的にするようなことであって、他人にどうこういうようなものではない。
一口に公務員といってもいろいろな職種があるし、経済状況も人それぞれである。
僕は、公務員は受け取り拒否すべきというムードが高まることを恐れていたが、どうやらそのような事にはならずに済んでいる。


それにしても、すでに10万円が振り込まれたという声も聞こえてくる一方、僕の家にはまだ申請用紙が届いていない。
何に使おうかと楽しみにしながら毎日待っている。





MASK~アベノマスク~

先日、ようやくアベノマスクが我が家にも届いた。

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4月頭に安倍晋三首相が各世帯に2枚ずつの布マスクを配布すると発表した時、正直あっけにとられてしまった。
もっと他にやりようがあるのではないか。
それになぜ1人2枚でなく、世帯で2枚なのか?夫婦2人暮らしの我が家には問題がないが、家族の多い家にはどうしても足りないではないか…。
7人家族(+タマ)のサザエさん一家のパロディ画像が作られたりもした。

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安倍首相夫婦には子供がいないので、そこまで考えが回らなかったのかもしれない。


4月の時点ではどこもマスクは品不足で、こんなアベノマスクでも需要はあったのかもしれない。
ところが、届かないまま1ヶ月以上経ち、いつのまにかマスクはどこでも見られるようになってきた…。

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また不思議な事に知人・友人たちのところにマスクが届いたという話を聞いているうちに、
早く自分の所にアベノマスクが来ないかと心待ちにするようになってしまっていた。

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その一方で、10万円の特別給付金“アベノマネー”の申請用紙の方は、一向に我が家には届いていない。



This is IT~緊急事態宣言解除~

5月25日、安倍晋三首相が緊急事態宣言の解除を表明した。
これで、4月8日から7週間に渡る自粛生活も終わりを告げる…のだろうか?

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学校再開後の事を決めるため、今日は久しぶりに学校に登校した。
緊急事態宣言が発令してから学校に行くのは3度目である。
それ以外はずっとテレワークでの自宅勤務だった。

正直、テレワークが始まった最初の頃は、果たして家に籠る生活に耐えることができるかどうか不安だった。
実は僕はこれまでの人生で、一日家にいた経験がほとんどない。
記憶にある限り3、4日程度である。
それが、週に2、3度買い物に出かけるぐらいで、ほとんど家にいることが出来たのである。
自分の事ながら驚いている。

テレワーク中は主に教材研究を行なっていたが、通勤時間が無いというのがこれほどまで楽だとは思わなかった。
存分に体を休めることが出来たのではないだろうか。

その一方で、外出をしないのですっかり運動不足になってしまった。
普段1万歩前後歩いているのだが、一日中家にいると500歩程しか歩かない。
おかげで体重が自己最重量を記録した。
小池都知事にはぜひ「太った?」と他人に聞くのを禁じる条例を出してもらいたい(笑)

終業後も家にいることになるから、テレビを観る機会が増えた。
残念なことは、撮影が出来ないため多くのドラマが放送を続けることが出来ず総集編や傑作選となっていることである。
6月中にはNHKの連続テレビ小説と大河ドラマもストックが尽きるという…。

その反面、読書はあまり進まなかった。
自粛期間中時間を持て余すかもしれないと、学校図書館で本をまとめて借りて来ていたのだが、ほとんど読んでいない。
通勤中の電車というのは、貴重な読書の時間であったようだ。

また、それまでさぼりがちだったこのブログ「たこのあゆみ」も、4月8日以降1日も欠かさず更新し続けることが出来ている。


多くの人が自粛疲れをしているというが、それは僕も例外ではない。
正直なところ、早く学校が再開して欲しいと思っている。
すでに3ヶ月近く授業をしていないが、このままでは自分が高校教師であることを忘れてしまいそうだ。
もちろん学校が再開しても、しばらくは生徒は分散登校となる見込みである。
なので、教員の方も自宅勤務も登校勤務を使い分けていくことになるだろう。


緊急事態宣言が解除されたからと言って、新型コロナウィルスの脅威が収まったわけではない。
気を引き締めなければすぐにまた第2波・第3波が襲ってくるだろう。
もう少し我慢の生活が必要である。


星の鼓動は愛~緊急事態宣言解除決定~

5月25日、東京都の緊急事態宣言が解除されることが確定した。
都立高校も、月内に登校日を設けた上で、予定通り6月1日から再開することになる。

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ただ、24日の都内の感染者数は14人となり、1桁だった昨日一昨日から一気に増えている。
これは心配していた第2波の兆しともとれる…。
解除は25日当日の状況も考慮するということであるのだが、月曜日は休み明けだからかもともと少なく出る傾向にある。
間違いなく解除となるだろう。
どうしても解除したいという、政府側の意図が見えるようだ。


ゴールデンウィーク後にはかなり緩みが見られた。
第2波が来るならゴールデンウィーク後の11日から2週間経った25日以降であろう。
せめて今月いっぱい待ってから解除かどうかの判断をすべきではないか。
最悪の場合もう一度緊急事態宣言もあると覚悟しておいた方が良いだろう。

個人的には25日での緊急事態宣言解除は尚早だと思うのだが、
学校再開と決まったのならそれに向けて準備をしていかなくてはならない。
少しずつ日常が帰って来る…。



リブート~緊急事態宣言解除?~

長かった新型コロナウィルスも確実に収束に向かっているようだ。

5月14日、安倍晋三首相は39県で緊急事態宣言を解除。
直近1週間で10万人あたりの累積感染者が0.5以下を解除の目安とすると発表した。
21日には関西の2府1県(大阪・京都・兵庫)でも緊急事態宣言を解除した。
現在、北海道、東京都、埼玉県、千葉県、神奈川県の5道府県のみが緊急事態宣言下にある。

安倍首相は5月25日にも残る道府県での緊急事態宣言を解除の判断を下すとの事である。

小池百合子・東京都知事は都の解除基準として、1週間の新規感染者数の人数が平均20人を下回るという指標を示していた。

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ここ数日の新規感染者は次の通り。

14日(木) 30人
15日(金)  9人
16日(土) 14人
17日(日)  5人
18日(月) 10人
19日(火)  5人
20日(水)  5人
21日(木) 11人
22日(金)  3人
23日(土)  2人

平均20人どころか10人をも下回っている。
僕は、ゴールデンウィーク後の気の緩みから、20日前後に爆発的に感染者数が増加すると予想していたのだが、
どうやら心配は杞憂に終わった。
もちろんまだ第2波が襲うおそれは残っているが、このまま収束してくれれば嬉しい限りである。

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25日に東京都の緊急事態宣言が解除されると、次は学校の再開がいつになるのか。
予定では6月1日となっているが、その前に登校日を設けるとの話もある。
また、学校が再開されても当分は、時差登校や分散登校で対応することになるだろう。
40人クラスでの再開や、部活動・学校行事の再開はまだまだ時間がかかりそうである。


僕の勤務校では、2・3年生の始業式をやったきりで、新1年生は入学式はおろか学校への登校すら出来ていない。
新入生たちは新たに始まる高校生活に胸を膨らませていたはずである。
それが、いきなりの2ヶ月もの自宅学習。
勉強・部活動はおろか、まだ担任やクラスメイトとも出会えていない。
早く彼ら彼女らにも通常の高校生活を味わわせてあげたい。



エール~「紺碧の空」誕生~

NHKの連続テレビ小説「エール」。
今週の放送内容は僕ら早稲田大学関係者にはたまらない内容であった。
今週はサブタイトルが「紺碧の空」。
早稲田大学応援歌の作曲を依頼された主人公・古山裕一(演:窪田正孝)が、苦心の末についに「紺碧の空」の曲を完成させる。
早慶戦当日、神宮球場に「紺碧の空」が鳴り響き、早稲田大学野球部は遂に慶応義塾大学野球部に勝利を収めるのであった…。

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不勉強なのでどこまでが史実なのかはわからないのだが、それでも正直感動させられた。

劇中、早稲田大学応援部の田中隆主将(演:三浦貴大)は、裕一に「早稲田の命運はあなたの双肩にかかっている」と語っていたが、
この曲はその後90年に渡って数々のドラマを彩ってきた。
「紺碧の空」があったからこそ、生まれたドラマもあるだろう。
田中主将の言葉はまさしく事実であった。
これからもこの歌がある限り、早稲田にはドラマが生まれていくに違いない…。


新型コロナウィルスがなければ、今年の早慶戦は5月30日・31日にあるはずだった。
本来であれば「エール」の感動を余韻に早慶戦を迎えるところであった。
新型コロナウィルスの影響で東京六大学野球のリーグ戦は5月下旬に1試合総当たりで開催することになったが、
5月に入ってからを再び延期された。
今年は全日本大学野球選手権大会が中止となり、その大会が行なわれる予定だった8月12日かは20日に行なわれることになっている。
甲子園すら中止となる中、果たして春のリーグ戦をこんなに遅くに開催する必要があるのだろうか?
9月19日には秋のリーグ戦が始まってしまう…。

必ずもう一度、神宮球場で「紺碧の空」を歌える日がやって来る。
その時を信じて、待つこととしたい。

♪早稲田早稲田 覇者覇者早稲田…




星を継ぐ者~総文祭オンライン開催~

高校総合体育祭(インターハイ)、高校野球選手権が相次いで中止となっている。
それでは、文化系部活動の頂点である高校総合文化祭(総文祭)はどうなったのであろうか?

2020年の総文祭は、7月31日から8月6日まで高知県で開催される予定である。
ところがスポーツの祭典と同様、新型コロナウィルスの影響で生徒を会場に集めての開催が難しい。
そこで、インターネットを用いてオンライン上で開催するということになった。


総文祭には、演劇、合唱、吹奏楽、器楽・管弦楽、日本音楽、吟詠剣詩舞、郷土芸能、マーチングバンド・バトントワリング、美術・工芸、書道、写真、放送、囲碁、将棋、弁論、小倉百人一首かるた、新聞、文芸、自然科学の19の規定部門と、
まんが、ボランティア、特別支援学校、軽音楽の4つの協賛部門がある。

このうち、美術・工芸や書道、新聞など事前に作品を送ることが可能な分野は、ネットでの作品掲載に加え、高知県内での展示を検討するという。
また、演劇や合唱、吹奏楽といったパフォーマンス系の分野は学校で動画撮影したものをネット上で公開するという。


問題なのは囲碁や将棋といった対戦種目。
中止の可能性もあるようだが、ネット上のソフトを使っての対戦や、カメラで撮影しながらの対戦もやろうと思えばできそうだ。

しかしさすがに小倉百人一首かるたは難しいだろう。
「競技かるたON LINE」といったソフトは存在するが、どうしても本物と同じようにはいかない。
「読手コンクール」部門だけ実施という事になるのだろうか。
(写真はあくまでイメージです。)

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もっとも開催が決まってもまだ問題はたくさんある。
代表選考をどうするのか。
東京都の小倉百人一首かるた部門であれば、通常はゴールデンウィークの時期に代表選考会を実施しているが、今年はそれも出来ていない。
他の部門も似たり寄ったりであるはずだ。

また、動画で参加ということになっても、詩吟や弁論といった個人種目なら問題ないが、
団体種目については、学校内で三密を避ける工夫が必要となってくる。


高校教師としては体育系部活動の顧問を務める事が多いが、高校時代は演劇部だったように僕はバリバリの文化系である。
普段どうしても体育系の部活動に隠れがちな文化系であるが、生徒達は体育系に負けない青春劇がある。
少しでも盛り上げていきたいと思う。



Miss Lonely Yesterday~甲子園中止決定~

8月10日に阪神甲子園球場で開幕予定であった第102回全国高等学校野球選手権の中止が決定した。夏の甲子園が中止となるのは米騒動のあった1918年と、太平洋戦争中の1941~45年以来ということになる。

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予定通り全国選手権を開催するには、少なくとも8月頭には代表校が出揃っていなければならない。
昨年でいえば愛知県大会は188校、神奈川県大会は181校の参加があり、予選だけでも1ヶ月近くかかっている。
役員を揃えるなど、今からでは準備期間が十分に確保できないこともあり、代表校を選出するのが難しいのだそうだ。
また現時点では7都道府県に緊急事態宣言が解除されていない。
もし仮に今月中に解除されたとしても、ほとんどの学校は3ヶ月にも及ぶ臨時休業の影響で部活動が行なえていない。
解除された時点で大会まで1ヶ月しか無く、ぶっつけ本番で臨む羽目にもなる。

甲子園で選手権が開催されると各校の関係者が全国から集まってくるため、移動や宿泊で感染リスクが高まることも懸念される。

高校野球ファンの1人としてはもちろん中止は残念ではあるのだが、こうした状況を考えると仕方がないだろう。


こうなると、地方大会がどうなるのか。
どうやら各都道府県の高野連に判断は任されるとのことである。
代表校を選ぶ必要が無いのだから、8月まで時間がある。
じっくりと期間を取って大会を実施すれば良いのではないだろうか。
今のところ都大会は開催の方向である。
現高3のためにも、何とかして大会を開催する方向で動いてもらいたいと願う。






デーゲーム~高校野球中止?~

夏の高校野球も新型コロナウィスルの影響を受けている。
春の選抜大会が中止となったが、夏の選手権も中止が濃厚だ。
(20日に正式決定の予定。)
すでにインターハイの中止が決まっていて、高校野球といえども例外というわけにはいかなかった。


一方、夏の都大会は行われる予定である。
もっとも7月4日に予定されていた開会式は中止となり、開幕が11日に順延となる。
しかも、無観客試合で行われる方針との事だ。
ちなみに、今年の都大会は神宮球場が東京オリンピックで使用される関係で、準決勝・決勝は東京ドームで開催される予定であったが、オリンピック延期を受けてそれはなくなった。

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早稲田実業野球部は秋出場辞退、春中止で新チームは一度も公式戦に出場していない。
甲子園出場は無くなったが、ぜひとも優勝目指して頑張って欲しい。


どうやら高校野球の試合を観に行けるのは秋季大会までお預けのようだ。
秋に精一杯野球が応援出来るよう、今はもう少し自粛生活を我慢したいと思う。



紺碧の空プロジェクト

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5月18日に放送された連続テレビ小説「エール」には、早稲田大学応援歌「紺碧の空」の誕生に纏わるエピソードが登場した。
当時早稲田大学は、慶應義塾大学の応援歌「若き血」押され早慶戦において連敗を重ねていた。
そこで、新しい応援歌作成の気運が高まり、学内で募集された歌詞の中から早稲田大学教授の西條八十が住治男の「紺碧の空」を選出。
新人作曲家の古山裕一に依頼にいくというストーリーである…。

明日以降もどうなるかが楽しみである。

「紺碧の空」は1931年に誕生して以来、早稲田大学の応援歌に留まらず、我々早稲田大学関係者にとっての魂の応援歌であり続けている。
僕も早稲田実業中学に入学して以来、これまでに何百回、何千回と歌ってきただろうか。
つらい時や悲しい時にこの歌に励まされて来た。


今、世界は新型コロナウィルスという未曽有の災厄に苦しめられている。
こんな時も、せめて「紺碧の空」を歌うことで、励ましあえればと思う。

「紺碧の空プロジェクト」という企画がある。
我が母校・早稲田大学は、新型コロナウィルスの影響で2019年度の卒業式、20年度の入学式を行なわず、
今年度の前期の授業は原則オンラインで実施されている。
サークル活動なども、8月1日まで自粛を求められているという状況。
こんな中、21の音楽団体などが賛同し、それぞれの「紺碧の空」の演奏を動画で撮影し、一曲に編集した。
吹奏楽、和楽器、弦楽、合唱など様々な音楽で「紺碧の空」を紡ぎあげる…
これこそ早稲田大学らしい企画ではないだろうか。





紺碧の空~ドラマ「エール」~

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NHKの連続テレビ小説「エール」を毎日楽しみに観ている。
主人公・古山裕一(演:窪田正孝)のモデルが作曲家・古関裕而ということもあって大変興味深い。

古関裕而だけではなく彼と名トリオとして活躍した作詞家・野村俊夫、歌手・伊藤久男を始め、
古賀政男や山田耕筰を思わせる人物も登場し、戦前の大衆音楽史を知る事が出来る。


先週5月15日の放送のラストは早稲田大学応援部の学生たちが古山の家に応援歌の作曲を依頼しにやってくるシーンであった。
ということは、いよいよ「紺碧の空」誕生秘話が登場するようだ。
何しろ来週のサブタイトルは「紺碧の空」そのものである。
ますます楽しみになって来る。

早稲田大学のホームページによると、早稲田大学応援部の現役部員やOBがエキストラで多数出演しているらしい。


古関裕而というと、早稲田の応援歌は他にも「ひかる青雲」や「永遠なるみどり」を作曲している。
早慶戦の前に歌われる「早慶讃歌」も古関の作曲だ。
他にもこうした曲の誕生エピソードが登場してくれないだろうか…。


それにしても、連続テレビ小説をここまできちんと観ているのはいつ以来だっただろうか。
現在テレワークの自宅勤務というのが幸いしている。
ただ、新型コロナウィルスの影響で、現在「エール」の収録が出来ていないらしい。
6月27日の放送をもって、一時中断となるようである。
残念ではあるが、我慢して待つことにしたい。


東京六大学野球の延期が決まり、高校野球の夏の大会も無観客での開催が検討されているという。
一日も早く新型コロナウィルスが収束し、神宮球場で「紺碧の空」を歌える日が来ることを願っている。



或る夜の出来事~ヨシュア記~

「ヨシュア記」の主人公はヨシュアである。
ヨシュアはモーセの跡を継いでイスラエル人の指導者となり、彼らを遂にカナンへ導くことに成功した。
(下の絵はジャン・フーケ「エリコの奪取」)

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「ヨシュア記」にはヨシュアに率いられたイスラエル人のカナン攻略が詳細に述べられている。
イスラエル人は手始めにエリコ(ジェリコ)を攻めた。
祭司たちが十戒を収めた契約の箱(いわゆるアーク)を担いでヨルダン川を渡ると、川が干上がるという、かつてモーセが見せたのと同じ奇跡が起きる。(ヨシュア記3.14~4.18)

また、城壁で囲まれたエリコの周囲を契約の箱が7日間の間周り、7日目に7周回って角笛を鳴らし鬨の声を上げると、城壁が崩れ落ちた。(ヨシュア記6.1~6.20)
これが「エリコ(ジェリコ)の壁」と呼ばれるエピソードで、後に映画「或る夜の出来事」(1934年米)に引用されている。
ふとしたことでホテルの同室に宿泊することになった新聞記者(演:クラーク・ゲーブル)と令嬢(クローデット・コルベール)だったが、過ちのないようにと新聞記者が2りのベッドの間にロープを張って毛布を掛け仕切りを作り、これを「ジェリコの壁」と呼ぶのである。
最終的に2人は結ばれ、ラストシーンで新聞記者がラッパを吹き鳴らすと、毛布が落ちジェリコの壁は崩壊する。

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ヨシュアはエリコを攻め滅ぼし「男も女も、若者も老人も、また牛、羊、ろばに至るまで町にあるものはことごとく剣にかけて滅ぼし尽くした」(ヨシュア記6.21)という。

ヨシュアは続いてアイを攻略。
一度は敗れるも、2度目の攻撃でこれを撃破し、1万2千人を滅ぼした。
さらにエルサレム、ヘブロン、ヤルムト、ラキシュ、エグロンの連合軍を撃破している。
この時神の加護があって敵陣に天から大石や雹が降り注ぎ、日が1日中沈むことがなかったというから、敵にとってはたまったものではない。
イスラエルはやがてカナン全土を攻略したが、その際に「住民を滅ぼし尽くして一人も残さなかった」(ヨシュア記10.28)「息ある者は一人も残さなかった」(ヨシュア記11.14)といった具合に敵を徹底的に殲滅させている。
ヨシュアは征服したカナンの土地を十二族にくじ引きによって分配したが、こんな有様では周辺の異民族とうまくやっていくことは難しい。


神の力を抜きにすれば、ヨシュアはモーセよりも有能な指導者だったのかもしれないが、今日まで続くイスラエル人とアラブ人の紛争の要因というのも実はヨシュアのせいだったのかもしれない。



怒りの葡萄~申命記2~

約束の地カナンをめざしてのモーセ一行の旅は40年にも及んだ。

エジプトのカイロからイスラエルまでは直線距離で424キロ。
これは東海道五十三次のお江戸日本橋から京都三条大橋までの487.8キロよりも少し短い。
この距離を江戸時代の日本人は12日から15日かけて歩いていたという。
モーセ一行のルートには様々な説があるが、シナイ半島を迂回したとしても1000キロ程度だろう。
単純に考えて約1ヶ月。
大人数であることを差し引いても2、3ヶ月もあれば十分にたどり着けるのではないか。
当時のエジプトの荒野の旅が想像を絶する過酷なものであったとしても、さすがに40年という日数にはリアリティがない。
相当な誇張があるのではないか。


なぜモーセ一行は40年も荒野をさまよったのか。
それは、神の怒りを買ったからである。

一行はカナン南部の町ヘブロンのほとりへたどり着いた。
ヘブロンに住むアナク人は背が高く勇猛であったため、一行は怖気づいた。
ヨシュアとカレブだけは攻めることを主張したのだが、多勢はそれに同意しなかったため、神は大いに怒った。
「わたしの声に聞き従わなかった者はだれ一人として、わたしが彼らの先祖に誓った土地を見ることはない。」(民数記14.22~23)
「お前たちは死体となってこの荒れ地で倒れる。お前たちの子供は、荒れ野で四十年の間羊飼いとなり、お前たちの最後の一人が荒れ野で死体となるまで、お前たちの背信の罪を負う。」(民数記14.32~33)


この言葉はリーダーであるモーセ自身にも降りかかり、カナンを眼前にモアブの地で亡くなった。
120歳であったとされる。
(下の絵はシニョレッリ「モーセの遺言と死」)

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旧約聖書の最初の5冊、「創世記」から「申命記」までを「モーゼ5書」と言い、モーセ自身が書いたとされているのだ。
ところが、このようにモーセ自身の死について描かれているため、それはあり得ない。
墓は「今日に至るまで、だれも彼が葬られた場所を知らない」(申命記34.6)とあり、聖書の中でも不明となっている。


一説にモーセは日本で死んでいるという。
石川県宝達志水町に「伝説の森公園モーゼパーク」という場所があり、そこにモーセの墓がある。
僕も数年前に行ってみた。

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説明書きによると、モーセの墓は「三ツ子塚」と呼ばれる古墳の1つ。
来日したモーセは当時の天皇に「十戒石」を献上。
皇女の大室姫と結婚したという。
三ツ子塚の中央にモーセが葬られ、他の2つには大室姫と孫がそれぞれ葬られているらしい。

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墓標が木製で極めて質素なので拍子抜けする。

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もっともここがモーセの墓だというのは、「竹内文献」が根拠だという。
「竹内文献」は神武天皇以前からの歴史を記したとされる古文書であるが、実際には近代になってから書かれた偽書であるとされる。
地元にそのような伝承があるわけでもなく、「竹内文献」を根拠としている時点でここがモーセの墓だというのは眉唾物としか言えないのである。



エクソダス~出エジプト記3・レビ記・民数記・申命記1~

「出エジプト記」20章から「レビ記」「民数記」「申命記」にかけて、聖書の記述は律法の内容を詳細に語ることに費やしている。
従って物語的な面白さは激減してしまう。
(下の絵はブリグストック「フルと兄アロンに支えられたモーセ」)

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モーセ一行は荒野を旅している。
今日のベドウィンのように穴を掘って柱を立てたテントに住んでいたのではないだろうか。
にも拘わらず律法に定められた戒律は日常生活から祭儀に至るまで詳細である。
果たして一行は旅先でも戒律を厳格に守っていたのだろうか?
十戒に書かれていた安息日だって、農耕民ならともかく家畜を世話する遊牧民がそれを守るのは難しい。
だから聖書の十戒を始めとする律法は、イスラエル人が農耕を主とするようになった後の時代に出来たものだと考えることも出来る。
いや、神がその後の時代の事を見通してモーセに与えたということか。


僕はユダヤ教徒でもキリスト教徒でもないので、正直律法のありがたみはわからない。
そこで、今日我々の目から見て面白いと思う記述をいくつかピックアップしたい。


   もし人に、精の漏出があったならば、全身を水に浸して洗う。その人は夕方まで汚れている。(略)精の漏出は男と寝た女にも当てはまる。二人とも身を洗う。二人は夕方まで汚れている。(レビ記15.16~18)

性交をすると穢れてしまうようだが、「精の漏出」が問題なのでそこには自慰行為も含まれるのだろう。


   母を犯し、父を辱めてはならない。彼女はあなたの実母である。彼女を犯してはならない。(レビ記18.7)

この後「父の妻」「姉妹」「孫娘」「おば」「嫁」などでも同様に「犯してはならない」と述べられる。
どうやら当時は、近親婚というものが盛んだったようだ。


   女と寝るように男と寝る者は、両者ともにいとうべきことをしたのであり、必ず死刑に処せられる。(レビ記20.13)

神は同性愛を禁じている。


   女は男の着物を身に着けてはならない。男は女の着物を着てはならない。(申命記22.5)

そればかりか男装や女装といった異性装をも禁じている。


   動物と交わった男は必ず死刑に処せられる。その動物も殺さねばならない。(レビ記20.15)
   すべて獣と寝るものは必ず死刑に処せられる。(出エジプト記22.18)

一番凄いのがこれ。
神がわざわざ禁止するぐらいだから獣姦は当時から盛んだったのだろう。


ユダヤ教やキリスト教の聖典である旧約聖書では上記のように同性愛に関しては厳格に禁止している。
ところが実際のところ、オランダやスペイン、フランスといった欧米の多くの国では同性婚が法的に認められている。
一方の日本は江戸時代の「衆道」など伝統的に同性愛に関して寛容であったはずなのだが、現在同性婚は法的には認められていない。
それどころかG7の中で、同性婚や同性のパートナーシップの制度を認めていないのは日本だけなのだそうだ。

いつの間にか日本と西洋とで価値観が逆転してしまっているのも面白いことである。



十戒~出エジプト記2~

エジプト軍を振り切った後も、モーセ一行の苦難の旅は続く。
約束の地にたどり着くまでに40年もの歳月を要したという。
それほどまで長い時間砂漠をさまようことになった原因は、民が神を信じることをしなかったからだという。

砂漠の放浪の旅である。民が飢えと渇きに悩まされたことは想像に難くない。
そんな時もモーセは奇跡を起こす。
マラの地で得た水は苦くて飲むことが出来なかったが、モーセが木の枝を投げ込むと水は甘くなった。(出エジプト記15.23~25)
また、うずらが大量に飛んできたこともあった。(出エジプト記16.13)
モーセが「あなたたちのために、天からパンを降らせる」(出エジプト記16.4)と語ると朝には「荒れ野の地表を覆って薄くて壊れやすいものが大地の霜のように薄く残っていた」(出エジプト記16.14)。
人々はこれを「マナ」と名付けたが、「蜜の入ったウェファースのような味がした」(出エジプト記16.31)という。
マナの正体にはいろいろな説がある。
ギョリュウ科のマナ・タマリスクの木の樹液だとか、その樹液を吸った虫の分泌物であるとか、カイガラムシの排泄物が乾燥したもの、あるいはリンゴなどの果実やキノコといったものまで…。
宗教的な比喩と見るべきなのかもしれない。


エジプトを出て3ヶ月、モーセ一行はシナイ山の麓へたどり着く。
この山に登ったモーセは神からの啓示を授かる。(出エジプト記20)
(下の絵はレンブラント「十戒の石板をふりかざすモーセ」)

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1.あなたには、わたしをおいてほかに神があってはならない。
2.あなたはいかなる像も造ってはならない。
3.あなたの神、主の名をみだりに唱えてはならない。
4.安息日を心に留め、これを聖別せよ。
5.あなたの父母を敬え。
6.殺してはならない。
7.姦淫してはならない。
8.盗んではならない。
9.隣人に関して偽証してはならない。
10.隣人の家を欲してはならない。

この10の戒め、いわゆる十戒を岩に2枚の岩に刻んだものをモーゼは授かった。
映画「珍説世界史PART1」(1981年米)では、モーセが神から授かった石板は3枚すなわち十五戒だったのだ、1枚落として割ってしまったということになっていた。
なおこのエッセイでは神の名をみだりに唱えているため、十戒の3番目に違反していることになる。


さらにその後もモーセは40日間にも渡って神から戒律を授かった。
モーセがなかなか戻ってこないため、残されたイスラエル人は金の子牛像を造りそれを崇め始めた。
山から下りてきたモーゼはその有様を見て激怒。
金の子牛像を焼き払うと、偶像崇拝に加担した民衆の殺害を命じる。
この時殺されたのは3000人にも及んだ。(出エジプト記32)

映画「十戒」(1956年米)では、モーセが十戒を刻んだ石板を金の子牛像に投げつけると、大地が割れて火が燃え盛るという、より神罰的な結末となっている。


モーセの物語はその後「レビ記」「民数記」「申命記」と引き継がれていく。
「創世記」から「申命記」までの5冊を「モーセ5書」と言い、モーセ自身が書いたと信じられている。
何度となくモーセに対する反乱や外敵との戦いがあり、一行は40年にも渡って荒野をさ迷うこととなり、モーセ自身もカナンを目前として120歳でこの世を去ることとなる。



プリンス・オブ・エジプト~出エジプト記1~

「旧約聖書」は2冊目の「出エジプト記」に入った。
「出エジプト記」は「創世記」の400年後の時代を描いている。

エジプトに移り住んだイスラエル人達であったが、すでに「ヨセフのことを知らない新しい王が出てエジプトを支配(出エジプト記1.8)」するようになっており、強制労働を強いられていた。
イスラエル人はこの頃までに「壮年男子だけでおよそ60万人」(出エジプト記12.37)に増えていたというからファラオも彼らを脅威に感じたのであろう。
ファラオはイスラエル人に生まれた男の子をすべて殺すように命じた。
生まれたばかりのモーセ(モーゼ)は籠に入れられナイル河畔の芦の茂みに捨てられたが、ファラオの王女によって拾われ、王女の子として育てられることとなった…。
(下の絵はアルマ=タデマ「モーセの発見」)

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映画「十戒」(1956年米)ではモーセ(演:チャールトン・ヘストン)はファラオの息子(演:ユル・ブリンナー)と兄弟同然に育ち、2人の確執が後の物語に大きく関わっていく。
このモーセと対立するファラオの息子とは後のラメセス2世(BC1314~BC1224/在位BC1290~BC1224)の事であったとされている。
このラメセス2世は古代エジプト王朝の全盛期を築いた偉大なファラオで、今では世界史の教科書にも名前が登場している。


やがて成長したモーセは、同胞イスラエル人が虐げられていることを知って憤りを覚え、神の啓示もあってイスラエル人のリーダーとしてファラオと対峙することとなる。
モーセはイスラエル人がエジプトから出国することの許しを請うが、ファラオはそれをかたくなに認めない。
そこでモーセは10度に渡って奇跡で災厄を起こし、ファラオに許可を求めた。

この10度の厄災は「モーセの十災」とも呼ばれる。
 1.川の水が血に変わる
 2.蛙の異常発生
 3.ぶよの異常発生
 4.あぶの異常発生
 5.疫病により家畜が死ぬ
 6.はれ物の流行
 7.激しい雹が降る
 8.いなごの異常発生
 9.3日間暗闇が覆う
 10.すべての初子の死

ここにきてようやくファラオはイスラエル人たちが国を出ることを認めた。
モーゼ一行は先にも述べたように壮年男子だけで60万人であった。
妻子や奴隷も加えると、250万人を超えていたとの計算もある。
もっとも当時のエジプト全体の人口は200万に満たなかったという説もあるから、実際にはそれよりかなり少なかったのではないだろうか。
一説には「600家族」ではなかったというものもあり、それならば全体で2500人程だからよっぽど現実的である。
いずれにせよ一行は約束の地カナンを目指し、苦しい旅が始まる。


いったんはモーセ一行を去らせたファラオだったが、すぐに追っ手を差し向けた。
600の戦車でモーセ一行に迫る。
モーセ一行の前には海。絶体絶命。
ここでまた奇跡が起きる。
「モーセが手を海に向かって差し伸べると、主は夜もすがら激しい東風をもって海を押し返されたので、海は乾いた地に変わり、水は分かれた。」(出エジプト記14.21)
(下の絵はロッセッリ「紅海横断」)

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映画「十戒」のクライマックスは紅海が割れるシーン(写真下)。
アカデミー特殊効果賞を受賞しており、SFXを見慣れた今日の目で見ても幻想的で迫力がある。
アメリカのユニバーサル・スタジオのアトラクション「スタジオ・ツアー」ではトラムに乗ってスタジオを回るのだが、その際にこの紅海が割れるシーンが再現されている。
トラムが敷地内の池に差し掛かると、池の水が2つに割れて、その中を通っていく…。

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メル・ブルックス監督・主演の映画「珍説世界史PART1」(1981年米)は、世界史の有名なエピソードをパロディにした作品だが、ここにもモーセ(演:メル・ブルックス)が登場する。
大道哲学者のコミカス(演:メル・ブルックス)はシーザー(演:ドム・デルイーズ)を冒涜する言葉を発したため、追われることとなって逃げ出す。
目の前に川が…、するとそこにモーセが現れ両手を開いたため、川が割れて逃げることに成功する。
実はモーセは追い剥ぎに後ろからナイフを突きつけられていたのだというオチ。

このモーセの奇跡。本当に起こったことなのだろうか?
映画「エクソダス:神と王」(2014年米)では地震が原因となっていた。
気象的な条件が整えば、湖の水が一時的に無くなるという事はあり得るのだという。
「♪海が割れるのよ 道ができるのよ…」と「珍島物語」で歌われていたが、奇跡というのも実際は単なる自然現象で、それをモーセがうまく利用したというのが真相なのかもしれない。



金色夜叉~競技かるた中止~


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僕が大学時代から続けている競技かるたも新型コロナウィルスの影響を大きく受けている。
公民館などの公共施設が軒並み閉館しているため、練習会場が確保できず、練習自体がほとんど行なわれていない。
ひょっとしたら個人宅などでの練習は行なわれているのかもしれないが、
かるたの練習会は締め切った中に大勢が集まるため、いわゆる3密(密接・密集・密閉)状態になってしまうので、
なかなか参加しようという気持ちにもなれないだろう。

大会の方も2月16日に開催された静岡大会と奈良大会を最後に、軒並み中止・延期となっている。
その中には、3月8日開催予定の選抜大会や、4月18日開催予定の選手権大会といったタイトル戦も含まれている。
それどころか、今後開催予定だった大会も次々と中止・延期が決まっているのである。
僕が所属する杉並かるた会の主催する杉並かるた大会も、6月9日から、9月13日に延期となったが、
新型コロナの状況次第ではそれすらも危ういかもしれない。

7月24日~26日に近江神宮で開催される予定であった全日本高校選手権が中止となったというのはショックだった。
高校選手権は、“かるた甲子園”とも言われる通り、高校生選手の誰もが目標とする大会だ。
高校3年生には高校時代の総決算として、なんとかして参加させてあげたかった…。


これまでは高校でかるたを止めてしまう選手が多かったが、高校時代のかるたが不完全燃焼だったのなら、その悔しさは大学や社会人になって晴らしてもらいたい。
今後もかるたとは末永く付き合っていってもらいたい。


僕もこのところすっかりかるたから遠ざかってしまっているが、新型コロナが収束してまたかるたが出来るようになったら、
久しぶりに競技に復帰したいと思う。



すみれSeptember Love~9月入学制度~

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新型コロナウィルスの流行による学校の臨時休業が長引いている。
このまま一学期いっぱい休業が続くのではないかとの噂もあるくらいだ。

それに伴って、いっそのこと9月入学にすべきではないかとの話が出てきた。
安倍晋三首相や、小池百合子都知事も9月入学に前向きな姿勢を示しているという。

海外の多くの国では9月に学年が始まる。
そのため日本人が留学する場合や外国人が日本に留学する場合、とても不便となっている。
1986年頃には中曽根康弘首相によって9月入学の導入が検討されたこともあった。
今回の臨時休業の長期化をきっかけとして、9月入学を取り入れようというのである。


個人的な考えを言わせてもらうと、僕は9月入学制度には反対である。
少なくとも、コロナを理由として今年や来年から導入というのには、である。
この考えでいえば、もし将来別の病気が流行した時には、再び4月入学に戻すこともあり得るというわけだ。
変えるのであればもっと慎重に論議を重ねた末に導入すべきである。


もちろん、新型コロナウィルスがもっと長引いて、今年度が9月スタートになるのは仕方がない。
だがもしそうなってしまったのなら、何とかしてそれを元に戻そうと努力すべきではないのか。

2020年度を3月までに終わらせようとするのではなく、数年かけて元に戻せば良いのである。
もちろん土曜日や祝日を使ったり、冬休みや春休みを短くして出来るだけ取り返すようにする必要はあるが、
2020年度はなんとか来年の5月までに終わらせるようにする。
同様にして2021年度を翌年の4月までに終わらせることが出来れば、2022年度を3月に終わらせることは難しくない。

懸念されるのは進路活動のある高校3年生である。
しかし3年の三学期はもともと授業はあってないようなものであるから、3月末まで授業を行なえば、来年の3月までに終らせることはそんなに難しくない。
昨年度で終了となったセンター試験も今年度だけは暫定的に継続してもらい、実施時期を3月中旬とする。
記述問題が導入されなければ全てマークシートなので、2週間もあれば入試の結果を出すのは可能だろう。

もちろん、大学や会社にも協力してもらい、新年度の開始を高校の年度の終わりに合わせてもらるのならば、それが一番である。



約束の場所へ~部活動中止~

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新型コロナウィルスは高校の部活動にも大きな影響を与えている。
東京都教育委員会は、すでに7月までの学校行事等の中止・延期を決めているが、
それには部活動の対外試合も含まれている。
予選が行なえなくなったこともあり、8月に開催予定であった全国高等学校総合体育大会(インターハイ)は中止となった。
もともと今年のインターハイは東京オリンピック・パラリンピックによる宿泊地確保の困難から、北関東を中心に21府県での「分散開催」の予定であったのだが…。
1963年にインターハイが始まってから初の大会中止である。

7月31日開会予定の全国高等学校総合文化祭は連休明け、8月10に開幕予定の全国高校野球選手権大会は5月中に開催の可否を決定するという事だが、このままでは中止になる公算が高い。
近江神宮で行なわれる競技かるたの全国高校選手権も中止と決まったし、
僕が顧問を務めている吹奏楽部にとっても、夏の吹奏楽コンクール実施の可否を5月中旬に決めるという。


進路活動を控えた高校3年生にとっては、こうした大会が無いとなると、部活動を続けるモチベーションも低下してしまう。
通常は公式戦に負けたら引退なのだが、多くの生徒はこのまま最終学年で試合もないまま引退に追い込まれることになる。
例えば僕の母校・早稲田実業学校の野球部だと、秋季大会を辞退しているため、
春に続いて夏季大会までが中止になると、1試合も公式戦を行なわないまま終わってしまうことになる。

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従来の開催時期に大会が出来ないのは仕方がないとして、生徒たちに何らかの救済措置はあって欲しいと思う。
いっそのこと、6月に学校が再開したら、すべてを2ヶ月遅らせて、
8~9月辺りに公式戦を行なうというのではどうだろうか?
そうすれば夏休みが9月に始まるから、甲子園は10月に開幕する。
もちろん受験シーズンは3月からにして、2021年度の開始も来年の6月にしても良いのではないだろうか。



FLY HIGH~臨時休業中の学習~

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都立高校の5月末までの臨時休業延長が決まった。
これで、3月2日からちょうど3ヶ月間授業が無いことになる。
当然、夏休みよりも、3年生の授業しか持っていなかった年の3学期よりも長い期間で、こんなに長い間授業をしなかったのは、僕にとっても初めての経験である。


臨時休業がここまで長引いてくると、生徒の学習面でのケアがより大切になって来る。
生徒達にはすでに4月時点で自宅学習中の宿題が大量に課せられている。
また、臨時休業が延長になったことを受けて、5月末までの宿題が追加されることになった。
もちろん、それだけでは不十分である。
長期休暇の宿題を後回しにした経験は誰もがあるだろう(笑)

本当は週に1回でも登校日を設けて生徒と接する機会があった方が良いのだが、
緊急事態宣言が出ている解除されない限り、
登校日は設けられないことになった。

僕の勤務校では生徒全員が市販の学習用アプリ(Classi、スタディサプリ等)に加入しているが、
そのメッセージ機能を使って生徒と連絡を取っていくことになる。
また、アプリには講義動画などの学習用コンテンツもある。


僕の勤務校では、生徒に少しでも規則正しい送ってもらえるよう、臨時休業中の時間割を発表することになった。
基本的にはその時間に、その科目を勉強してもらうようにする。
学習アプリの通信機能を使って生徒からの質問や宿題の追加を行なうというもの。

一部の若手の先生は、自分の授業を録画してYouTubeに公開することにしたらしい。
僕も今後はそういった方法を考える必要があるかもしれない。


もちろん問題はまだまだ色々とある。
例えばネット環境は生徒によって異なっている。
場合によってはパソコンが家族共用で、しかも親がテレワーク勤務に使っていて、生徒が自由に使えないというような事もあるだろう。


しばらくは試行錯誤が続いていくことになるに違いない。




胡蝶の夢~臨時休業延長決定~

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3月2日から続いている都立高校の臨時休業が、5月31日まで延長されることが決まった。
4月8日に発令された緊急事態宣が5月31日まで延長されることを受けてである。
新型コロナウィルスの感染者数は減少傾向にあるとはいえ、依然高い水準にあり、僕も延長には異論はない。
ただ、そのやり方にはいろいろと不満がある。


愛知県の公立高校が4月23日に5月末までの臨時休業を決定したこともあり、都立高校の臨時休業が延長されるのも時間の問題かと思われた。
しかしながら、なかなかその決定が出ない。
当初の臨時休業の期限は5月6日。翌7日から授業を再開する予定であった。
5月2日から6日がゴールデンウィークの休日であることを考えると、どう遅くても5月1日には決定されていなければならない。

4月24日に東京都教育委員会は5月7日と8日に生徒を登校させない事を決めたのは、国の決定が出るまでの時間稼ぎではなかっただろうか。

4月28日、埼玉県が都に先駆けて公立学校の5月末までの臨時休業延長を決めた。
すでに茨城県、群馬県も5月末までの臨時休業を決めている。
ところが東京都は、連休中に延長の可否を決定するという、なんとも悠長なものであった。

結局、5月4日に非常事態宣言の延長が決まったことを受けて、5日になってから都立高校の5月末までの臨時休業延長が決定したのである。


それにしても、3月の臨時休業決定の時から、政府や都の決定は遅すぎるように感じる。
現場の事を考えて、どうしてもっと早く決定出来ないのだろうか。

そしてもう1つの懸念は、この先いつまで臨時休業が続くのかということ。
緊急事態宣言が解除されても、学校はもっと慎重にならなくてはならない。
噂では一学期いっぱい臨時休業が続くとの話もあるが、まったく見通しが立たない。


安倍首相は、5月14日に専門家会議の意見をもとに緊急事態宣言解除の基準を決めるという。
本来であれば4月8日に緊急事態宣言を発令した際に決めておくべきことではなかっただろうか。
一方では大阪府が5日に独自の基準“大阪モデル”を発表している。
それによると…
(1)新規の感染経路不明者数=10人未満
(2)PCR検査陽性率=7%未満
(3)重症者向け病床使用率=60%未満
この3つの基準を7日連続で下回れば、段階的に自粛要請を解除していくのだという。

国の基準も似たようなものになるのだろうか?
とにかく一刻も早く新型コロナウィルスが収束し、学校が再開できる日が来ることを願っている。


ヨセフとその兄弟~創世記9~

カナンに移り住んだヤコブたちであったが、ヤコブは息子たちのうちラケルの生んだヨセフをことの他かわいがった。
そんなヨセフのことを兄たちは嫉妬。
兄たちによって荒野の穴に落とされたヨセフは、イシュマエル人に売られエジプトに連れられて行ってしまう…。(創世記37)
(下の絵はオーファーベック「兄に売られるヤコブ」)

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「創世記」最後の主人公はヨセフである。
「創世記」にはカインとアベル、イシュマエルとイサク、エサウとヤコブと、兄と弟の確執が何度となく繰り返し描かれているが、ヨセフのエピソードにおいても彼と兄たちとの確執と和解が大きなテーマとなっている。


エジプトに連れていかれたヨセフは才覚を発揮してファラオから「宮廷の責任者」(宰相)に任じられた。
一帯が7年間の飢饉に見舞われた際も、ヨセフの助言によってエジプトは餓えることはなかった。
そこへヨセフの兄たちが助けを求めてカナンからやって来た。
兄たちは当初、宰相がヨセフであるとは気が付かなかったが、最終的にヨセフはその身分を明かす。
やがて父イスラエルをも呼び寄せ、一族はエジプトへ移住する。(創世記39~50)
(下の絵はポントルモ「エジプトのヨセフ」)

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「創世記」38章にはヤコブの兄ユダとその息子たちのエピソードが唐突に登場する。
ユダにはエルとオナン、シェラの3人の息子がいた。
エルはタマルと結婚したが、神の意に反したため殺されてしまう。
ユダは弟のオナンに「兄嫁のところに入り、(略)兄のために子孫をのこしなさい」と命じるが、その子が自分のものにならないと考えたオナンは、子種を地面に流してしまう。
そのためオナンも神の怒りを買って殺されてしまった。
その後タマルはシェラと結婚させてもらえなかったため、娼婦のふりをしてユダと関係を持ち双子のペレツとゼラを生んだ。(創世記38.1~38.11)

自慰行為のことを“オナニー”というのはオナンが子種を地面に流したことに由来している。
オナンがその行為によって神に殺されたことから、オナニーは罪悪であるとの考え方が生まれたようだ。
ただよく読むと、彼の行為は自慰ではなく外出しであるのだが…。


当時のユダヤ人は父から祝福を受けた“族長”がすべてを相続する「家父長制度」であった。
そのため、誰が後継ぎとなるかは大きな問題であったと考えられる。
「旧約聖書」には何度となく描かれる兄弟の確執も、そもそもは族長の座をめぐる争いだったと考えれば納得がいく。
ユダが長男の嫁に次男をあてがってでも子を生ませたかったということも、タマルが舅と交わってでもユダの子孫を生もうとしたことも同様の理由であろう。
また、オナンが兄嫁との間に子供を作りたくなかったのは、兄の子が生まれると、自身が父の後を継ぐことができなくなるからである。


アブラハムからイサク、ヤコブと代々引き継がれてきた族長は、ヤコブの12人の息子へ受け継がれた。
ルベン、シメオン、レビ、ユダ、ダン、ナフタリ、ガド、アシェル、イサカル、ゼブルン、ヨセフ、ベニヤミンがそれぞれ12の部族(支族)の祖となった。
ただし、「民数記」冒頭で人口調査が行なわれた際にはそこにレビ族は加えられず、代わりにヨセフの子のエフライムとマナセの子孫が加えられている。
レビ族が除かれたのは「レビ人には掟の幕屋、その祭具および他の付属品にかかわる任務(民数記4.49)」があったからだという。
レビ族には土地が与えられない代わり祭司として儀式を行なう役割があった。
ちなみにモーセ(モーゼ)はレビ族の出身である。

後にイスラエル王国を築くダビデ王はユダ族の出身である。
「ルツ記」にペレツからダビデまでの系図が載せられている(ルツ記4.18~4.22)ように、「旧約聖書」の作者はユダ族をイスラエル人の正統と見做していたようだ。
だからペレツ誕生にまつわるユダ一家のエピソードが「創世記」に無理やり載せられているのである。
ユダが兄弟の中で一貫してヤコブに同情的に描かれているのも同様の理由だったのではないだろうか。


「創世記」はイスラエル民族がエジプトに移り住んだところで終わりとなる。
だがそれは、民族にとって新たな苦難の始まりであった…。
引き続き「出エジプト記」を読んでいくことにしたい。



ジェイコブス・ラダー~創世記8~

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イサクは妻リベカとの間に双子の子エサウとヤコブを設けた。
年を取り目が見えなくなったイサクは、長子エサウに祝福を与えようとした。
ところがヤコブはエサウのふりをしてイサクの祝福を受けることに成功。
エサウは激怒し、ヤコブは伯父ラバンの元へ逃げる。

ラバンの下でヤコブは財産を築き独立。
故郷に戻る旅の途中で神と格闘し勝利したことから“イスラエル”と名付けられる。
兄エサウとも和解し、イスラエルは12人の子供を設けた。(創世記27~35)


イサクの息子ヤコブは権謀術数に長けた人物として登場している。
ヤコブは、兄エサウから父の祝福を奪っている。
“祝福”とはおそらく、後継者としての立場を神の前で誓うことで、当時のイスラエル民族の間では重要な儀式であったのだろう。
それ以前にも、ヤコブは空腹のエサウにパンとレンズ豆の煮物を与える代わりに長子の特権を譲るよう迫っている。

兄イサクから逃げたヤコブは、伯父ラバンのもとへ滞在し、羊飼いとして頭角を現した。
やがてヤコブはラバンのもとから独立したいと考え、ラバンに報酬として「ぶちとまだらの羊をすべてと羊の中で黒味がかったものをすべて、それからまだらとぶちの山羊」(創世記30.32)」を求めた。
ラバンには白い羊と黒い山羊だけを残して、残りをヤコブが取るということであった。
黒い毛のある羊や、白い毛のある山羊は数が少ないうえに価値が低く劣っていたものと考えられていたのである。
ところが交配の技術にも長けていたヤコブは、強く黒い毛のある羊や、白い毛のある山羊を増やすことに成功。
結果的にラバンの財産のうちの多くをヤコブは手に入れることとなった。


そんなヤコブも、結婚の際にはラバンに騙されている。
ラバンにはレアとラケルの2人の娘がいた。
ラケルが「顔も美しく、容姿も優れていた(創世記29.17)」のに対し、レアは「優しい目をしていた(同)」とだけある。
ずいぶんと遠回しな言い方だが、レアはさほど容貌には優れていなかったのだろう。
ヤコブは妹のラケルの方を愛し求婚、ラバンもそれを承知した。
ところが、ヤコブが婚礼の翌日目を覚ますと隣には長女のレアがいた。
ラバンは「妹を姉より先に嫁がせることはしないのだ(創世記29.26)」と語り、結局ヤコブはラケルに加えてレアとも結婚することとなる。
ヤコブはレアとラケルの2人の妻と、側女としてそれぞれの召し使いのジルパとビルハとの間に計12人の子を設けた。
その子供たちが後にイスラエル12部族の祖先となるのである。
(下の絵はダイス「ヤコブとラケルの出会い」)

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ヤコブの権謀術数は、その息子たちにも受け継がれていた。
ラバンのもとを去ってカナンへ帰る途中ヤコブ一行は、ヒビ人の町に立ち寄った。
その地の首長の息子シケムが、ヤコブの娘ディナを見初め、辱めてしまう。
そのことを知ったヤコブの息子たちは激しく憤った。
シケムの父ハモルがシケムとディナとの結婚を申し込んできたため、ヤコブの息子たちは条件として土地の男たちが割礼を受けることを提案した。
割礼とは、男性器の包皮を切り取ることで、現在でもユダヤ教徒にとって神との契約を示す重要な儀式である。
受け入れたハモルたちは割礼を施したが、それから3日目のまだ傷の癒えていない時に、ヤコブの息子たちが町を襲撃。
股ぐらを抱えて苦しんでいる男たちを皆殺しにすると、財産をすべて略奪したのである。


今回の件名「ジェイコブス・ラダー(ヤコブの梯子)」とは、家を逃げ出したヤコブが道中夢の中で見た天使が上り下りする天国まで続く梯子の事である(一番上の絵)。
この時神はヤコブに「あなたの子孫は大地の砂粒のように多くなり、西へ、東へ、北へ、南へと広がっていくであろう」(創世記28.14)と予言するのである。
この「ヤコブの梯子」は地上と宇宙を結ぶ巨大な軌道エレベータの事を指すことがある。
例えば「ガンダム Gのレコンギスタ」(2014~15年サンライズ/MBS)に登場する軌道エレベータ「キャピタル・タワー」のように、SFにはしばしば登場してくる。

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そう考えると、天国と言うものは案外宇宙に存在してたりするのかもしれない。


アブラハムの子~創世記7~

 アイヤー、ヨッ

作家・阿刀田高は「旧約聖書を知っていますか」の中で、イスラエルの族長の名前の覚え方をこう述べている。
アブラハムの子がイサク、その子がヤコブ、そしてその子がヨセフである。
我々日本人は聖書の人名になかなかなじみがないので、こうした語呂合わせがあるというのはあり難い。


今回紹介するアブラハムの子イサクは地味な人物である。
創世記25章でアブラハムが亡くなりイサクがその後を継ぐも、物語はすぐにその子のヤコブに移ってしまうからだ。
イスラエル民族の父アブラハムと、自ら「イスラエル」と名乗ってイスラエル12部族の祖となったヤコブの間に挟まれていてイサクは影が薄い。
鎌倉幕府執権の北条義時、室町幕府の足利義詮、江戸幕府の徳川秀忠…。
日本の歴史を紐解いてみても、2代目は初代や3代目に比べて影が薄いことが多い。
基礎を築いた初代と、全盛期の3代目に挟まれているからであろうか。


さて、そのイスラエル民族2代目族長のイサクであるが、有名なエピソードとしては、神が父アブラハムの信仰を試そうと幼いイサクを献げ者として差し出すよう命じるものがある。
信仰厚いアブラハムは神の命ずるまま刃物でイサクを屠ろうとするが、神は慌ててそれを止めさせる。(創世記22)
(下の絵はレンブラント「アブラハムとイサク」)

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後にイサクにはエサウとヤコブの2人の息子が生まれる。
成長したヤコブは、長子の特権が欲しいがためにエサウに成りすまして父イサクの祝福を受ける。
毛深いエサウに成りすますため、体に子山羊の毛皮を纏って目の不自由となったイサクを騙す。
イサクは「声はヤコブの声だが、腕はエサウの腕だ(創世記27.22)」と言いながらも騙されてしまうから、ずいぶんと間抜けでお人よしという印象だ。
(下の絵はフリンク「ヤコブを祝福するイサク」)

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イサクの業績としては多くの井戸を掘ったことであると聖書では述べられている。
父アブラハムがかつて掘ったもののペリシテ人によって埋められてしまった井戸を再び掘り直し、また新たな井戸を掘っている。
砂漠に生きるイスラエル民族にとって、水がいかに貴重であったかは想像に難くない。
井戸を持つということはその土地を支配するということでもあった。
イサクはアブラハムが神から与えられた「約束の地」を1つひとつ取り返していったということである。
地味だが大切な仕事である。
イサクはまさに「忍耐」の人物であったのだ。


確かにイサクは父アブラハムや息子ヤコブに比べれば地味なのかもしれないが、その間をつなぐ重要な人物であったといえる。



ソドムとゴモラ~創世記6~

創世記12章から主人公はアブラハムとなる。
アブラハムはノアの10代目の子孫であり、イスラエル民族(ユダヤ人)の族長(開祖)である。
つまり彼によってイスラエル人の歴史が始まったことになり、創世記のここからの記述は“神話”でなく“歴史”となる。
言わばアブラハムは聖書における神武天皇のような存在であるようだ。


アブラハムはもともとは「アブラム」と言った。
神の啓示を受け、妻のサライ(後のサラ)、甥のロトらと共に約束の地カナン(パレスチナ)を目指して旅立つ。(創世記12)

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(上の絵はバッサーノ「アブラハムの出発」)
聖書によると旅立った当時アブラムは75歳、妻のサライは65歳であったとされているが、これらの年齢はどうにもおかしい。
後々の物語を考えると、実際の年齢はその半分ぐらいだったように思われる。
例えばサラはその後エジプト王から「大変美しい(創世記12.14)」と思いを寄せられるのだが、これが65歳の老婆だとするとちょっと不自然である。
サラはその後も90歳の時に神の予言で息子イサクを産んでいる。
サラは神の予言を聞いて「自分は年をとり、もはや楽しみがあるはずもなし(創世記18.12)」と考えているのだが、実際の年齢が45歳だったなら出産も決してあり得ない話ではない。


いろいろと苦労があった末にアブラム一行はカナンへたどり着いた。
旅の途中で甥のロトは一行と分かれてソドムに住むこととなる。
エラム王ケドルラオメルがソドムを攻略した際、ロト一家は家財もろとも捕虜となるが、アブラムによって救出されている。(創世記13~14)

アブラムはロトを救出するために訓練を受けた奴隷318人を組織し、ケドルラオメルたちに夜襲をかけて撃退した。
これをもって、イスラエル軍の始まりとする説がある。


アブラハムのエピソードの中で最も印象的なのは、ソドムとゴモラの滅亡であろう。
アブラムの前に神の使者が現れ、重い罪ゆえにソドムとゴモラの町を滅ぼすことを告げる。(創世記18~19)

ソドムとゴモラの罪が何であったのかははっきりしないのだが、それは同性愛のような乱れた性であったように思われる。
というのも2人の神の使いがロトを救い出すためにソドムを訪ねた際に、町の人々は「今夜、お前のところへ来た連中はどこへいる。なぶりものにしてやるから(創世記19.5)」と叫んでいるからだ。
今日同性愛のことを“ソドミー”と呼ぶのはこのエピソードに基づいている。
(下の絵はファン・レイデン「ロトとその娘たち」)

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神の使いの導きでロト一家がソドムの町を脱出すると、天から硫黄の火が降り、町は滅びた。
逃げる際に後ろを振り返ってはいけないと言われていたが、ロトの妻は振り返ってしまったために塩の柱と化してしまう。
映画「天空の城ラピュタ」(1986年スタジオジブリ)ではラピュタの兵器がソドムとゴモラを滅ぼしたということになっているが、一説には核兵器であり、ロトの妻が塩の柱となったのも放射能の影響だという。


アブラムは99歳の時に神から「アブラハム」という名を与えられた。
“多くの民の父”という意味で、やがて彼の子孫がイスラエル民族となって発展していく。


ところで童謡「アブラハムの子」では、「♪アブラハムには7人の子 1人はのっぽであとはちび…」と歌われている。
聖書によるとアブラハムには側室ハガルとの間にイシュマエル、正妻であるサラとの間にイサク、後妻ケトラとの間にジムラン、ヨクシャン、メダン、ミディアン、イシュバク、シュアを設けている。
全部で8人いるが、このうちイシュマエルは、サラによって母ハガルと共に砂漠に追放されてしまっているからノーカウント。
残る子供のうちイサクだけ歳が離れているため、「一人はのっぽ」と言われているのだろう。
童謡に目くじらを立てる必要はないのだが、「♪みんな仲良く暮らしてる…」と能天気に歌っているその頃、長男イシュマエルは砂漠で辛酸をなめていた。

しかし、アブラハムの死後彼の遺体を埋葬したのはイシュマエルとイサクであったと聖書には記されているから、
サラの死後イシュマエルとイサクは和解していたようである。
イスラム教ではイシュマエルの子孫がアラブ人になったとされる。
そのためイスラエルとアラブの対立の原因というのも、イシュマエルとイサクの確執にまで遡るという説がある。
しかし当の本人たちはとっくの昔に和解しているのだから、子孫たちも平和裏に対立を解決できないものであろうか。



バベル~創世記5~

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シンアルの地の平原に住みついた人々は、天まで届く塔を築こうとした。
それを見た神は、彼らがお互いに言葉を理解できなくした。
その結果、人々は世界各地に散らばっていった。(創世記11.1~11.9)


僕は海外旅行が好きなので世界各地に行くのだが、なぜ世界の言語はこうも違うのかと思うことがある。
以前、タイから陸路国境を越えてミャンマーへ渡ったことがある。
ほんの数メートル行っただけで言葉はもちろん、文字まで一変してしまうのだが、よく考えると不思議なことである。
そんな疑問に答えているのが「バベルの塔」のエピソードだ。

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バベルの塔は神話であるが、一部では史実を反映しているとも言われている。
なるほどイランのチョガ・ザンビールのジッグラト(聖塔/写真上)などモデルとなった建物は実際にあったのだろう。
この天高く聳えるバベルの塔は、その後も多くの芸術のモチーフとされた。
とりわけブリューゲルの絵画(上の絵)が有名である。

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また、ドイツ映画「メトロポリス」(1927年独)に登場する指令本部の建物(写真上)も、バベルの塔がモチーフとなっている。

横山光輝の漫画「バビル2世」(1971~73年)では5000年前に地球に漂着した宇宙人バビルが、ニムロデ王の協力のもとバベルの塔を築いたことになっている。
当時の人類の不注意で塔は爆発したが、その地下には宇宙人のテクノロジーが残されていた。
やがてバビルの血を受け継いだ少年がバビル2世となるのだが、バベルの塔はそのバビル2世の基地としてたびたび作品の中に登場する(下の絵)。
基地の発生させる人工砂嵐によって基地は発見されないということになっている。

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バベルの塔は、空想的で実現不可能な計画を比喩的に指して用いることもある。
また、バブル景気の時に建てられたものの、バブル崩壊によってそのままにされた高層ビルを「バブルの塔」と揶揄することもある。
聖書にはバベルの塔が崩壊したとの記述はないのだが、工事の中断された塔はいつしか朽ち果て崩れていったに違いない。
まさに1990年代日本を席巻したバブル景気と同じではないか。


バベルという地名の由来は神が「言葉を混乱(バラル)させ(創世記11.9)」たことによる。
映画「バベル」(2006年米)は、モロッコ(ベルベル語)、アメリカ(英語)、メキシコ(スペイン語)、日本(日本語)の4つの国を舞台とした物語が複雑に交差しあう。
モロッコ人兄弟、アメリカ人夫婦、日本人父子のそれぞれの確執を通して言葉ばかりでなく、心が通じない人々が描かれている。
つまり「バベル」という言葉は、お互いの意思疎通が不可能なことを指して象徴的に用いられるのである。



ノア・約束の舟~創世記4~

この地上に人類が溢れてくると、不法が満ち溢れ堕落が起きるようになってくる。
そんな人類を見て、神はこの世界を滅ぼそうと決める。
だが、ノアだけは神に従う無垢な人であったため、彼に命じて大きな箱舟を作らせた。
そして、すべての動物から1番ずつを箱舟に乗せた。

やがて40日40夜地上に雨が降り続け、この世のすべてを洗い流した。(創世記6~9)

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「ノアの方舟(箱舟)」のエピソードである。
「ギルガメッシュ叙事詩」にも同様の洪水が描かれており、一部は史実であったとも言われている。

聖書によると箱舟の大きさは長さ300アンマ、幅50アンマ、高さ30アンマで3階建てであった。
1アンマは45センチだから、長さ135メートル、幅22.5メートル、高さ13.5メートルとなる。
タイタニック号が長さ269メートル、幅28メートル、高さ53メートルだったから、大きさはちょうど半分ぐらい。
ノアと3人の息子だけで作り上げることもなんとか出来そうな気がする。

ではそこに、世界中のすべての動物を1つがいずつ入れることは可能だろうか。
世界中の動物の種類は、ほ乳類5,513、鳥類10,425、爬虫類10,038、両生類7,302の計33,278種類だそうである。
それが2匹ずつだから数は66,556匹。
箱舟の面積は3階建てだから計9,112平方メートル。
これを66,556で割ると1匹当たり0.14平方メートルとなる。
日本では鉄道の定員を乗客一人当たり0.35平方メートルとしているが、実際は200%を超える混雑もある。
また、動物の大半は人間よりも小さいサイズであることを考えると、乗せ切ることは決して不可能ではなさそうである。

次に食料の問題だが、乗せている動物の中にはライオンやトラといった肉食動物もいる。
それらの動物が箱舟の中の動物を食べてしまうと、その瞬間にその動物は滅亡してしまうだろう。
となると、他に食料用の動物を乗せなくてはならない。
その辺りの疑問は、映画「天地創造」(1966年米/伊)ではミルクを飲んでいたということになっている。
また、映画「ノア/約束の舟」(2014年米)では動物たちは眠らされていた。

実をいうとこの問の答えは聖書にきちんと記されている。
地上についたノアたちに神はこう言う。
「動いている命あるものは、すべてあなたたちの食糧とするがよい。わたしはこれらのすべてのものを、青草と同じようにあなたたちに与える。(創世記9.3)」
かつて天地創造の際にはこう言っている。
「見よ、全地に生える、種を持つ草と種を持つ実をつける木を、すべてあなたたちに与えよう。それがあなたたちの食べ物となる。地の獣、空の鳥、地を這うものなど、すべて命あるものにはあらゆる青草を食べさせよう。(創世記1.29~1.30)」

つまり、ノアたちが洪水から再び大地に上陸するまでは、人も動物もすべてベジタリアンであったのだ。


アニメ映画「ファンタジア2000」(1999年米)でノアの箱舟を描いた「威風堂々」のエピソードには、つがいの動物たちが箱舟に向かっている中、ユニコーンやドラゴン、グリフォンが列に加わらずに笑って見ている場面がある。
なるほど、現在実在していない動物はこの時の洪水で滅んだということなのだ。
ひょっとしたら恐竜が滅んだ原因というのも、この時の洪水なのかもしれない。
確かに、全長22メートルものブロントサウルスを乗せてしまうと箱舟の容量のかなりの部分を占めてしまう。
そのためノアは恐竜たちを箱舟に乗せることができなかったのかもしれない。

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となると人類と恐竜とは、共存していたということになるわけだが、
実際ステゴサウルスと思しき彫刻のあるカンボジアのアンコール遺跡のタプローム寺院(写真上)や、首長竜のような絵が描かれたアマゾンのヤモン遺跡(写真下)なども発見されているので、案外そうだったのかもしれない。

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