怒りの葡萄~申命記2~

約束の地カナンをめざしてのモーセ一行の旅は40年にも及んだ。

エジプトのカイロからイスラエルまでは直線距離で424キロ。
これは東海道五十三次のお江戸日本橋から京都三条大橋までの487.8キロよりも少し短い。
この距離を江戸時代の日本人は12日から15日かけて歩いていたという。
モーセ一行のルートには様々な説があるが、シナイ半島を迂回したとしても1000キロ程度だろう。
単純に考えて約1ヶ月。
大人数であることを差し引いても2、3ヶ月もあれば十分にたどり着けるのではないか。
当時のエジプトの荒野の旅が想像を絶する過酷なものであったとしても、さすがに40年という日数にはリアリティがない。
相当な誇張があるのではないか。


なぜモーセ一行は40年も荒野をさまよったのか。
それは、神の怒りを買ったからである。

一行はカナン南部の町ヘブロンのほとりへたどり着いた。
ヘブロンに住むアナク人は背が高く勇猛であったため、一行は怖気づいた。
ヨシュアとカレブだけは攻めることを主張したのだが、多勢はそれに同意しなかったため、神は大いに怒った。
「わたしの声に聞き従わなかった者はだれ一人として、わたしが彼らの先祖に誓った土地を見ることはない。」(民数記14.22~23)
「お前たちは死体となってこの荒れ地で倒れる。お前たちの子供は、荒れ野で四十年の間羊飼いとなり、お前たちの最後の一人が荒れ野で死体となるまで、お前たちの背信の罪を負う。」(民数記14.32~33)


この言葉はリーダーであるモーセ自身にも降りかかり、カナンを眼前にモアブの地で亡くなった。
120歳であったとされる。
(下の絵はシニョレッリ「モーセの遺言と死」)

SignorelliMosesDeath.jpg


旧約聖書の最初の5冊、「創世記」から「申命記」までを「モーゼ5書」と言い、モーセ自身が書いたとされているのだ。
ところが、このようにモーセ自身の死について描かれているため、それはあり得ない。
墓は「今日に至るまで、だれも彼が葬られた場所を知らない」(申命記34.6)とあり、聖書の中でも不明となっている。


一説にモーセは日本で死んでいるという。
石川県宝達志水町に「伝説の森公園モーゼパーク」という場所があり、そこにモーセの墓がある。
僕も数年前に行ってみた。

DSC07399.JPG

説明書きによると、モーセの墓は「三ツ子塚」と呼ばれる古墳の1つ。
来日したモーセは当時の天皇に「十戒石」を献上。
皇女の大室姫と結婚したという。
三ツ子塚の中央にモーセが葬られ、他の2つには大室姫と孫がそれぞれ葬られているらしい。

DSC07402.JPG

墓標が木製で極めて質素なので拍子抜けする。

DSC07413.JPG

もっともここがモーセの墓だというのは、「竹内文献」が根拠だという。
「竹内文献」は神武天皇以前からの歴史を記したとされる古文書であるが、実際には近代になってから書かれた偽書であるとされる。
地元にそのような伝承があるわけでもなく、「竹内文献」を根拠としている時点でここがモーセの墓だというのは眉唾物としか言えないのである。



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