紺碧の空プロジェクト

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5月18日に放送された連続テレビ小説「エール」には、早稲田大学応援歌「紺碧の空」の誕生に纏わるエピソードが登場した。
当時早稲田大学は、慶應義塾大学の応援歌「若き血」押され早慶戦において連敗を重ねていた。
そこで、新しい応援歌作成の気運が高まり、学内で募集された歌詞の中から早稲田大学教授の西條八十が住治男の「紺碧の空」を選出。
新人作曲家の古山裕一に依頼にいくというストーリーである…。

明日以降もどうなるかが楽しみである。

「紺碧の空」は1931年に誕生して以来、早稲田大学の応援歌に留まらず、我々早稲田大学関係者にとっての魂の応援歌であり続けている。
僕も早稲田実業中学に入学して以来、これまでに何百回、何千回と歌ってきただろうか。
つらい時や悲しい時にこの歌に励まされて来た。


今、世界は新型コロナウィルスという未曽有の災厄に苦しめられている。
こんな時も、せめて「紺碧の空」を歌うことで、励ましあえればと思う。

「紺碧の空プロジェクト」という企画がある。
我が母校・早稲田大学は、新型コロナウィルスの影響で2019年度の卒業式、20年度の入学式を行なわず、
今年度の前期の授業は原則オンラインで実施されている。
サークル活動なども、8月1日まで自粛を求められているという状況。
こんな中、21の音楽団体などが賛同し、それぞれの「紺碧の空」の演奏を動画で撮影し、一曲に編集した。
吹奏楽、和楽器、弦楽、合唱など様々な音楽で「紺碧の空」を紡ぎあげる…
これこそ早稲田大学らしい企画ではないだろうか。





紺碧の空~ドラマ「エール」~

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NHKの連続テレビ小説「エール」を毎日楽しみに観ている。
主人公・古山裕一(演:窪田正孝)のモデルが作曲家・古関裕而ということもあって大変興味深い。

古関裕而だけではなく彼と名トリオとして活躍した作詞家・野村俊夫、歌手・伊藤久男を始め、
古賀政男や山田耕筰を思わせる人物も登場し、戦前の大衆音楽史を知る事が出来る。


先週5月15日の放送のラストは早稲田大学応援部の学生たちが古山の家に応援歌の作曲を依頼しにやってくるシーンであった。
ということは、いよいよ「紺碧の空」誕生秘話が登場するようだ。
何しろ来週のサブタイトルは「紺碧の空」そのものである。
ますます楽しみになって来る。

早稲田大学のホームページによると、早稲田大学応援部の現役部員やOBがエキストラで多数出演しているらしい。


古関裕而というと、早稲田の応援歌は他にも「ひかる青雲」や「永遠なるみどり」を作曲している。
早慶戦の前に歌われる「早慶讃歌」も古関の作曲だ。
他にもこうした曲の誕生エピソードが登場してくれないだろうか…。


それにしても、連続テレビ小説をここまできちんと観ているのはいつ以来だっただろうか。
現在テレワークの自宅勤務というのが幸いしている。
ただ、新型コロナウィルスの影響で、現在「エール」の収録が出来ていないらしい。
6月27日の放送をもって、一時中断となるようである。
残念ではあるが、我慢して待つことにしたい。


東京六大学野球の延期が決まり、高校野球の夏の大会も無観客での開催が検討されているという。
一日も早く新型コロナウィルスが収束し、神宮球場で「紺碧の空」を歌える日が来ることを願っている。



或る夜の出来事~ヨシュア記~

「ヨシュア記」の主人公はヨシュアである。
ヨシュアはモーセの跡を継いでイスラエル人の指導者となり、彼らを遂にカナンへ導くことに成功した。
(下の絵はジャン・フーケ「エリコの奪取」)

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「ヨシュア記」にはヨシュアに率いられたイスラエル人のカナン攻略が詳細に述べられている。
イスラエル人は手始めにエリコ(ジェリコ)を攻めた。
祭司たちが十戒を収めた契約の箱(いわゆるアーク)を担いでヨルダン川を渡ると、川が干上がるという、かつてモーセが見せたのと同じ奇跡が起きる。(ヨシュア記3.14~4.18)

また、城壁で囲まれたエリコの周囲を契約の箱が7日間の間周り、7日目に7周回って角笛を鳴らし鬨の声を上げると、城壁が崩れ落ちた。(ヨシュア記6.1~6.20)
これが「エリコ(ジェリコ)の壁」と呼ばれるエピソードで、後に映画「或る夜の出来事」(1934年米)に引用されている。
ふとしたことでホテルの同室に宿泊することになった新聞記者(演:クラーク・ゲーブル)と令嬢(クローデット・コルベール)だったが、過ちのないようにと新聞記者が2りのベッドの間にロープを張って毛布を掛け仕切りを作り、これを「ジェリコの壁」と呼ぶのである。
最終的に2人は結ばれ、ラストシーンで新聞記者がラッパを吹き鳴らすと、毛布が落ちジェリコの壁は崩壊する。

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ヨシュアはエリコを攻め滅ぼし「男も女も、若者も老人も、また牛、羊、ろばに至るまで町にあるものはことごとく剣にかけて滅ぼし尽くした」(ヨシュア記6.21)という。

ヨシュアは続いてアイを攻略。
一度は敗れるも、2度目の攻撃でこれを撃破し、1万2千人を滅ぼした。
さらにエルサレム、ヘブロン、ヤルムト、ラキシュ、エグロンの連合軍を撃破している。
この時神の加護があって敵陣に天から大石や雹が降り注ぎ、日が1日中沈むことがなかったというから、敵にとってはたまったものではない。
イスラエルはやがてカナン全土を攻略したが、その際に「住民を滅ぼし尽くして一人も残さなかった」(ヨシュア記10.28)「息ある者は一人も残さなかった」(ヨシュア記11.14)といった具合に敵を徹底的に殲滅させている。
ヨシュアは征服したカナンの土地を十二族にくじ引きによって分配したが、こんな有様では周辺の異民族とうまくやっていくことは難しい。


神の力を抜きにすれば、ヨシュアはモーセよりも有能な指導者だったのかもしれないが、今日まで続くイスラエル人とアラブ人の紛争の要因というのも実はヨシュアのせいだったのかもしれない。



怒りの葡萄~申命記2~

約束の地カナンをめざしてのモーセ一行の旅は40年にも及んだ。

エジプトのカイロからイスラエルまでは直線距離で424キロ。
これは東海道五十三次のお江戸日本橋から京都三条大橋までの487.8キロよりも少し短い。
この距離を江戸時代の日本人は12日から15日かけて歩いていたという。
モーセ一行のルートには様々な説があるが、シナイ半島を迂回したとしても1000キロ程度だろう。
単純に考えて約1ヶ月。
大人数であることを差し引いても2、3ヶ月もあれば十分にたどり着けるのではないか。
当時のエジプトの荒野の旅が想像を絶する過酷なものであったとしても、さすがに40年という日数にはリアリティがない。
相当な誇張があるのではないか。


なぜモーセ一行は40年も荒野をさまよったのか。
それは、神の怒りを買ったからである。

一行はカナン南部の町ヘブロンのほとりへたどり着いた。
ヘブロンに住むアナク人は背が高く勇猛であったため、一行は怖気づいた。
ヨシュアとカレブだけは攻めることを主張したのだが、多勢はそれに同意しなかったため、神は大いに怒った。
「わたしの声に聞き従わなかった者はだれ一人として、わたしが彼らの先祖に誓った土地を見ることはない。」(民数記14.22~23)
「お前たちは死体となってこの荒れ地で倒れる。お前たちの子供は、荒れ野で四十年の間羊飼いとなり、お前たちの最後の一人が荒れ野で死体となるまで、お前たちの背信の罪を負う。」(民数記14.32~33)


この言葉はリーダーであるモーセ自身にも降りかかり、カナンを眼前にモアブの地で亡くなった。
120歳であったとされる。
(下の絵はシニョレッリ「モーセの遺言と死」)

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旧約聖書の最初の5冊、「創世記」から「申命記」までを「モーゼ5書」と言い、モーセ自身が書いたとされているのだ。
ところが、このようにモーセ自身の死について描かれているため、それはあり得ない。
墓は「今日に至るまで、だれも彼が葬られた場所を知らない」(申命記34.6)とあり、聖書の中でも不明となっている。


一説にモーセは日本で死んでいるという。
石川県宝達志水町に「伝説の森公園モーゼパーク」という場所があり、そこにモーセの墓がある。
僕も数年前に行ってみた。

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説明書きによると、モーセの墓は「三ツ子塚」と呼ばれる古墳の1つ。
来日したモーセは当時の天皇に「十戒石」を献上。
皇女の大室姫と結婚したという。
三ツ子塚の中央にモーセが葬られ、他の2つには大室姫と孫がそれぞれ葬られているらしい。

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墓標が木製で極めて質素なので拍子抜けする。

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もっともここがモーセの墓だというのは、「竹内文献」が根拠だという。
「竹内文献」は神武天皇以前からの歴史を記したとされる古文書であるが、実際には近代になってから書かれた偽書であるとされる。
地元にそのような伝承があるわけでもなく、「竹内文献」を根拠としている時点でここがモーセの墓だというのは眉唾物としか言えないのである。



エクソダス~出エジプト記3・レビ記・民数記・申命記1~

「出エジプト記」20章から「レビ記」「民数記」「申命記」にかけて、聖書の記述は律法の内容を詳細に語ることに費やしている。
従って物語的な面白さは激減してしまう。
(下の絵はブリグストック「フルと兄アロンに支えられたモーセ」)

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モーセ一行は荒野を旅している。
今日のベドウィンのように穴を掘って柱を立てたテントに住んでいたのではないだろうか。
にも拘わらず律法に定められた戒律は日常生活から祭儀に至るまで詳細である。
果たして一行は旅先でも戒律を厳格に守っていたのだろうか?
十戒に書かれていた安息日だって、農耕民ならともかく家畜を世話する遊牧民がそれを守るのは難しい。
だから聖書の十戒を始めとする律法は、イスラエル人が農耕を主とするようになった後の時代に出来たものだと考えることも出来る。
いや、神がその後の時代の事を見通してモーセに与えたということか。


僕はユダヤ教徒でもキリスト教徒でもないので、正直律法のありがたみはわからない。
そこで、今日我々の目から見て面白いと思う記述をいくつかピックアップしたい。


   もし人に、精の漏出があったならば、全身を水に浸して洗う。その人は夕方まで汚れている。(略)精の漏出は男と寝た女にも当てはまる。二人とも身を洗う。二人は夕方まで汚れている。(レビ記15.16~18)

性交をすると穢れてしまうようだが、「精の漏出」が問題なのでそこには自慰行為も含まれるのだろう。


   母を犯し、父を辱めてはならない。彼女はあなたの実母である。彼女を犯してはならない。(レビ記18.7)

この後「父の妻」「姉妹」「孫娘」「おば」「嫁」などでも同様に「犯してはならない」と述べられる。
どうやら当時は、近親婚というものが盛んだったようだ。


   女と寝るように男と寝る者は、両者ともにいとうべきことをしたのであり、必ず死刑に処せられる。(レビ記20.13)

神は同性愛を禁じている。


   女は男の着物を身に着けてはならない。男は女の着物を着てはならない。(申命記22.5)

そればかりか男装や女装といった異性装をも禁じている。


   動物と交わった男は必ず死刑に処せられる。その動物も殺さねばならない。(レビ記20.15)
   すべて獣と寝るものは必ず死刑に処せられる。(出エジプト記22.18)

一番凄いのがこれ。
神がわざわざ禁止するぐらいだから獣姦は当時から盛んだったのだろう。


ユダヤ教やキリスト教の聖典である旧約聖書では上記のように同性愛に関しては厳格に禁止している。
ところが実際のところ、オランダやスペイン、フランスといった欧米の多くの国では同性婚が法的に認められている。
一方の日本は江戸時代の「衆道」など伝統的に同性愛に関して寛容であったはずなのだが、現在同性婚は法的には認められていない。
それどころかG7の中で、同性婚や同性のパートナーシップの制度を認めていないのは日本だけなのだそうだ。

いつの間にか日本と西洋とで価値観が逆転してしまっているのも面白いことである。



十戒~出エジプト記2~

エジプト軍を振り切った後も、モーセ一行の苦難の旅は続く。
約束の地にたどり着くまでに40年もの歳月を要したという。
それほどまで長い時間砂漠をさまようことになった原因は、民が神を信じることをしなかったからだという。

砂漠の放浪の旅である。民が飢えと渇きに悩まされたことは想像に難くない。
そんな時もモーセは奇跡を起こす。
マラの地で得た水は苦くて飲むことが出来なかったが、モーセが木の枝を投げ込むと水は甘くなった。(出エジプト記15.23~25)
また、うずらが大量に飛んできたこともあった。(出エジプト記16.13)
モーセが「あなたたちのために、天からパンを降らせる」(出エジプト記16.4)と語ると朝には「荒れ野の地表を覆って薄くて壊れやすいものが大地の霜のように薄く残っていた」(出エジプト記16.14)。
人々はこれを「マナ」と名付けたが、「蜜の入ったウェファースのような味がした」(出エジプト記16.31)という。
マナの正体にはいろいろな説がある。
ギョリュウ科のマナ・タマリスクの木の樹液だとか、その樹液を吸った虫の分泌物であるとか、カイガラムシの排泄物が乾燥したもの、あるいはリンゴなどの果実やキノコといったものまで…。
宗教的な比喩と見るべきなのかもしれない。


エジプトを出て3ヶ月、モーセ一行はシナイ山の麓へたどり着く。
この山に登ったモーセは神からの啓示を授かる。(出エジプト記20)
(下の絵はレンブラント「十戒の石板をふりかざすモーセ」)

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1.あなたには、わたしをおいてほかに神があってはならない。
2.あなたはいかなる像も造ってはならない。
3.あなたの神、主の名をみだりに唱えてはならない。
4.安息日を心に留め、これを聖別せよ。
5.あなたの父母を敬え。
6.殺してはならない。
7.姦淫してはならない。
8.盗んではならない。
9.隣人に関して偽証してはならない。
10.隣人の家を欲してはならない。

この10の戒め、いわゆる十戒を岩に2枚の岩に刻んだものをモーゼは授かった。
映画「珍説世界史PART1」(1981年米)では、モーセが神から授かった石板は3枚すなわち十五戒だったのだ、1枚落として割ってしまったということになっていた。
なおこのエッセイでは神の名をみだりに唱えているため、十戒の3番目に違反していることになる。


さらにその後もモーセは40日間にも渡って神から戒律を授かった。
モーセがなかなか戻ってこないため、残されたイスラエル人は金の子牛像を造りそれを崇め始めた。
山から下りてきたモーゼはその有様を見て激怒。
金の子牛像を焼き払うと、偶像崇拝に加担した民衆の殺害を命じる。
この時殺されたのは3000人にも及んだ。(出エジプト記32)

映画「十戒」(1956年米)では、モーセが十戒を刻んだ石板を金の子牛像に投げつけると、大地が割れて火が燃え盛るという、より神罰的な結末となっている。


モーセの物語はその後「レビ記」「民数記」「申命記」と引き継がれていく。
「創世記」から「申命記」までの5冊を「モーセ5書」と言い、モーセ自身が書いたと信じられている。
何度となくモーセに対する反乱や外敵との戦いがあり、一行は40年にも渡って荒野をさ迷うこととなり、モーセ自身もカナンを目前として120歳でこの世を去ることとなる。



プリンス・オブ・エジプト~出エジプト記1~

「旧約聖書」は2冊目の「出エジプト記」に入った。
「出エジプト記」は「創世記」の400年後の時代を描いている。

エジプトに移り住んだイスラエル人達であったが、すでに「ヨセフのことを知らない新しい王が出てエジプトを支配(出エジプト記1.8)」するようになっており、強制労働を強いられていた。
イスラエル人はこの頃までに「壮年男子だけでおよそ60万人」(出エジプト記12.37)に増えていたというからファラオも彼らを脅威に感じたのであろう。
ファラオはイスラエル人に生まれた男の子をすべて殺すように命じた。
生まれたばかりのモーセ(モーゼ)は籠に入れられナイル河畔の芦の茂みに捨てられたが、ファラオの王女によって拾われ、王女の子として育てられることとなった…。
(下の絵はアルマ=タデマ「モーセの発見」)

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映画「十戒」(1956年米)ではモーセ(演:チャールトン・ヘストン)はファラオの息子(演:ユル・ブリンナー)と兄弟同然に育ち、2人の確執が後の物語に大きく関わっていく。
このモーセと対立するファラオの息子とは後のラメセス2世(BC1314~BC1224/在位BC1290~BC1224)の事であったとされている。
このラメセス2世は古代エジプト王朝の全盛期を築いた偉大なファラオで、今では世界史の教科書にも名前が登場している。


やがて成長したモーセは、同胞イスラエル人が虐げられていることを知って憤りを覚え、神の啓示もあってイスラエル人のリーダーとしてファラオと対峙することとなる。
モーセはイスラエル人がエジプトから出国することの許しを請うが、ファラオはそれをかたくなに認めない。
そこでモーセは10度に渡って奇跡で災厄を起こし、ファラオに許可を求めた。

この10度の厄災は「モーセの十災」とも呼ばれる。
 1.川の水が血に変わる
 2.蛙の異常発生
 3.ぶよの異常発生
 4.あぶの異常発生
 5.疫病により家畜が死ぬ
 6.はれ物の流行
 7.激しい雹が降る
 8.いなごの異常発生
 9.3日間暗闇が覆う
 10.すべての初子の死

ここにきてようやくファラオはイスラエル人たちが国を出ることを認めた。
モーゼ一行は先にも述べたように壮年男子だけで60万人であった。
妻子や奴隷も加えると、250万人を超えていたとの計算もある。
もっとも当時のエジプト全体の人口は200万に満たなかったという説もあるから、実際にはそれよりかなり少なかったのではないだろうか。
一説には「600家族」ではなかったというものもあり、それならば全体で2500人程だからよっぽど現実的である。
いずれにせよ一行は約束の地カナンを目指し、苦しい旅が始まる。


いったんはモーセ一行を去らせたファラオだったが、すぐに追っ手を差し向けた。
600の戦車でモーセ一行に迫る。
モーセ一行の前には海。絶体絶命。
ここでまた奇跡が起きる。
「モーセが手を海に向かって差し伸べると、主は夜もすがら激しい東風をもって海を押し返されたので、海は乾いた地に変わり、水は分かれた。」(出エジプト記14.21)
(下の絵はロッセッリ「紅海横断」)

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映画「十戒」のクライマックスは紅海が割れるシーン(写真下)。
アカデミー特殊効果賞を受賞しており、SFXを見慣れた今日の目で見ても幻想的で迫力がある。
アメリカのユニバーサル・スタジオのアトラクション「スタジオ・ツアー」ではトラムに乗ってスタジオを回るのだが、その際にこの紅海が割れるシーンが再現されている。
トラムが敷地内の池に差し掛かると、池の水が2つに割れて、その中を通っていく…。

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メル・ブルックス監督・主演の映画「珍説世界史PART1」(1981年米)は、世界史の有名なエピソードをパロディにした作品だが、ここにもモーセ(演:メル・ブルックス)が登場する。
大道哲学者のコミカス(演:メル・ブルックス)はシーザー(演:ドム・デルイーズ)を冒涜する言葉を発したため、追われることとなって逃げ出す。
目の前に川が…、するとそこにモーセが現れ両手を開いたため、川が割れて逃げることに成功する。
実はモーセは追い剥ぎに後ろからナイフを突きつけられていたのだというオチ。

このモーセの奇跡。本当に起こったことなのだろうか?
映画「エクソダス:神と王」(2014年米)では地震が原因となっていた。
気象的な条件が整えば、湖の水が一時的に無くなるという事はあり得るのだという。
「♪海が割れるのよ 道ができるのよ…」と「珍島物語」で歌われていたが、奇跡というのも実際は単なる自然現象で、それをモーセがうまく利用したというのが真相なのかもしれない。



金色夜叉~競技かるた中止~


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僕が大学時代から続けている競技かるたも新型コロナウィルスの影響を大きく受けている。
公民館などの公共施設が軒並み閉館しているため、練習会場が確保できず、練習自体がほとんど行なわれていない。
ひょっとしたら個人宅などでの練習は行なわれているのかもしれないが、
かるたの練習会は締め切った中に大勢が集まるため、いわゆる3密(密接・密集・密閉)状態になってしまうので、
なかなか参加しようという気持ちにもなれないだろう。

大会の方も2月16日に開催された静岡大会と奈良大会を最後に、軒並み中止・延期となっている。
その中には、3月8日開催予定の選抜大会や、4月18日開催予定の選手権大会といったタイトル戦も含まれている。
それどころか、今後開催予定だった大会も次々と中止・延期が決まっているのである。
僕が所属する杉並かるた会の主催する杉並かるた大会も、6月9日から、9月13日に延期となったが、
新型コロナの状況次第ではそれすらも危ういかもしれない。

7月24日~26日に近江神宮で開催される予定であった全日本高校選手権が中止となったというのはショックだった。
高校選手権は、“かるた甲子園”とも言われる通り、高校生選手の誰もが目標とする大会だ。
高校3年生には高校時代の総決算として、なんとかして参加させてあげたかった…。


これまでは高校でかるたを止めてしまう選手が多かったが、高校時代のかるたが不完全燃焼だったのなら、その悔しさは大学や社会人になって晴らしてもらいたい。
今後もかるたとは末永く付き合っていってもらいたい。


僕もこのところすっかりかるたから遠ざかってしまっているが、新型コロナが収束してまたかるたが出来るようになったら、
久しぶりに競技に復帰したいと思う。



すみれSeptember Love~9月入学制度~

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新型コロナウィルスの流行による学校の臨時休業が長引いている。
このまま一学期いっぱい休業が続くのではないかとの噂もあるくらいだ。

それに伴って、いっそのこと9月入学にすべきではないかとの話が出てきた。
安倍晋三首相や、小池百合子都知事も9月入学に前向きな姿勢を示しているという。

海外の多くの国では9月に学年が始まる。
そのため日本人が留学する場合や外国人が日本に留学する場合、とても不便となっている。
1986年頃には中曽根康弘首相によって9月入学の導入が検討されたこともあった。
今回の臨時休業の長期化をきっかけとして、9月入学を取り入れようというのである。


個人的な考えを言わせてもらうと、僕は9月入学制度には反対である。
少なくとも、コロナを理由として今年や来年から導入というのには、である。
この考えでいえば、もし将来別の病気が流行した時には、再び4月入学に戻すこともあり得るというわけだ。
変えるのであればもっと慎重に論議を重ねた末に導入すべきである。


もちろん、新型コロナウィルスがもっと長引いて、今年度が9月スタートになるのは仕方がない。
だがもしそうなってしまったのなら、何とかしてそれを元に戻そうと努力すべきではないのか。

2020年度を3月までに終わらせようとするのではなく、数年かけて元に戻せば良いのである。
もちろん土曜日や祝日を使ったり、冬休みや春休みを短くして出来るだけ取り返すようにする必要はあるが、
2020年度はなんとか来年の5月までに終わらせるようにする。
同様にして2021年度を翌年の4月までに終わらせることが出来れば、2022年度を3月に終わらせることは難しくない。

懸念されるのは進路活動のある高校3年生である。
しかし3年の三学期はもともと授業はあってないようなものであるから、3月末まで授業を行なえば、来年の3月までに終らせることはそんなに難しくない。
昨年度で終了となったセンター試験も今年度だけは暫定的に継続してもらい、実施時期を3月中旬とする。
記述問題が導入されなければ全てマークシートなので、2週間もあれば入試の結果を出すのは可能だろう。

もちろん、大学や会社にも協力してもらい、新年度の開始を高校の年度の終わりに合わせてもらるのならば、それが一番である。



約束の場所へ~部活動中止~

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新型コロナウィルスは高校の部活動にも大きな影響を与えている。
東京都教育委員会は、すでに7月までの学校行事等の中止・延期を決めているが、
それには部活動の対外試合も含まれている。
予選が行なえなくなったこともあり、8月に開催予定であった全国高等学校総合体育大会(インターハイ)は中止となった。
もともと今年のインターハイは東京オリンピック・パラリンピックによる宿泊地確保の困難から、北関東を中心に21府県での「分散開催」の予定であったのだが…。
1963年にインターハイが始まってから初の大会中止である。

7月31日開会予定の全国高等学校総合文化祭は連休明け、8月10に開幕予定の全国高校野球選手権大会は5月中に開催の可否を決定するという事だが、このままでは中止になる公算が高い。
近江神宮で行なわれる競技かるたの全国高校選手権も中止と決まったし、
僕が顧問を務めている吹奏楽部にとっても、夏の吹奏楽コンクール実施の可否を5月中旬に決めるという。


進路活動を控えた高校3年生にとっては、こうした大会が無いとなると、部活動を続けるモチベーションも低下してしまう。
通常は公式戦に負けたら引退なのだが、多くの生徒はこのまま最終学年で試合もないまま引退に追い込まれることになる。
例えば僕の母校・早稲田実業学校の野球部だと、秋季大会を辞退しているため、
春に続いて夏季大会までが中止になると、1試合も公式戦を行なわないまま終わってしまうことになる。

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従来の開催時期に大会が出来ないのは仕方がないとして、生徒たちに何らかの救済措置はあって欲しいと思う。
いっそのこと、6月に学校が再開したら、すべてを2ヶ月遅らせて、
8~9月辺りに公式戦を行なうというのではどうだろうか?
そうすれば夏休みが9月に始まるから、甲子園は10月に開幕する。
もちろん受験シーズンは3月からにして、2021年度の開始も来年の6月にしても良いのではないだろうか。