八重の桜~会津若松~

朝起きると雪が降っていた。
まさにホワイトクリスマス…。
(写真ではよくわからないけど)


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今回僕が泊まった「庄助の宿 滝ノ湯」は、放蕩者で有名な小原庄助ゆかりの宿らしい。
小原庄助の入った湯船も残されている。


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僕も庄助に倣って朝寝と朝湯は堪能したが、
車の運転があるので朝酒だけは遠慮しておいた。


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雪も幸いにしてつもるようなことはなかったので、会津の名所を片っ端から回ってみた。


松平家墓所。


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会津藩の藩主・松平(保科)家の歴々が眠る。


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戊辰戦争当時の藩主9代松平容保公。


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ただ、松平家の墓所は山の中で、墓石も吹きっさらしで寒く、寂しかった。
明治政府に最後まで抵抗した敗軍の将の一族だから…というわけではないだろうが。


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会津武家屋敷は、戊辰戦争当時の家老・西郷頼母の屋敷。


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松平家の薬草園だった御薬園。


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白虎隊の悲劇の舞台・飯盛山に到着。


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前回は徒歩で登ったが、今回はエスカレータを使った。


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白虎隊の隊員19名の墓が並ぶ。


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唯一生き残った飯沼貞吉の墓も。


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自刃の地はここ。


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ここから鶴ヶ城を望む。
この距離ではとてもではないが、お城が燃えているかどうか確認はできそうにない。


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飯盛山には国の重要文化財さざえ堂がある。


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戸ノ口堰洞穴は、敗走する白虎隊士が通った用水堰。


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しかし戊辰戦争時の会津藩の本陣だった旧滝沢本陣は残念ながら閉館中だった。


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白虎隊史料館にも当然入った。
やはりここでも「八重の桜」関連の展示が増えていた。


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今回初めて知って衝撃だったのは、
飯盛山で自刃した白虎隊士は20人ではなく、実際には17人だったということ。
他の場所で戦死した3人も後に合祀されたことから、混同されるようになってしまったとのことだ。


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昼食にはソースカツ丼。
会津名物としてあちこちにあったので気になっていたので入ってみた。
ソースカツ丼というと、福井を始めあちこちにあるが、
ここのは生のキャベツが敷かれており、長野県の駒ヶ根市と同じである。


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最後に、会津藩の藩校・日新館を訪ねることにした。
もともとは鶴ヶ城のすぐ近くにあったのだが、現在は車で15分程離れた場所にある。

日新館に向かう途中、白い観音像が見えた。
会津慈母大観音だそうだ。


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日新館に到着。


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「八重の桜」の主人公の兄・山本覚馬はここで教授を勤めていたこともあり、
ドラマの中にも何度も日新館は登場した。
ドラマの撮影もここで行われたとのこと。


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白虎隊士ももちろん、会津藩士はみなここで学んでいる。


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東大総長も勤めた山川健次郎は元白虎隊士だが、
彼ももちろんここで学んでいる。


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水練所は日本初のプールだとか。


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冬は一部の場所が非公開になっている。
天文台も柵の向こうから見ただけ。


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明治学院大学元総理の井深梶之助は元白虎隊士で、やはり日新館で学んでいる。


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こうして、喜多方と会津若松を周った福島旅行を終えて帰路に就いた。

帰りのお供は「みちのく福島路ビール」。
10年前、飲んで気に入っていた地ビール「赤べこスタウト」はなくなっていた。

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