天地創造~創世記1~

CreaciónAdán.jpg

 初めに、神は天地を創造された。地は混沌であって、闇が深淵の面にあり、神の霊が水の面を動いていた。神は言われた。
 「光あれ。」
 こうして、光があった。神は光を見て、良しとされた。神は光と闇を分け、光を昼と呼び、闇を夜と呼ばれた。夕べがあり、朝があった。第一の日である。(創世記1.1~1.5)


「旧約聖書」の冒頭である。
「旧約聖書」は全部で39巻から構成されるが、その最初の巻が「創世記」。
天地の創造と人類の誕生、そしてイスラエル民族の起源が描かれている。


神が天地を創造した流れは次の通り。

1日目 天地、光、昼と夜。
2日目 大空(天)。
3日目 地と海、草と木。
4日目 星、太陽と月。
5日目 海の生き物、翼のある鳥。
6日目 家畜、這うもの、地の獣、男と女。
7日目 安息なさった。


つまり神は6日間かけてこの世界を作り、7日目に休んだということになる。
1週間が7日というのも、日曜日が休日というのも、この天地創造が由来となっている。
神というのは実に勤勉である。
もし僕が天地を創造したならば、3日にいっぺんは休んだだろうから、1週間はもっと短くなっていただろう。

以前、家を訪ねてきた宗教団体の女性は、聖書というものが書かれて以来一字一句に変化が無いということを神聖であることの根拠として挙げていた。
ところが実際の聖書は、長い年月の間に少しずつ書き継がれてきたもので、その証拠は現在の聖書のテキストの随所に見られる。
天地創造の6日目に神は「御自分にかたどって…男と女に創造された(創世記1.27)」とあるから、最初の人類であるアダムとエバ(イブ)もこの時に生まれているはずである。
ところがその直後に、土(アダマ)で作られた人アダムが「人が独りでいるのは良くない(創世記2.19)」という記述があるのだ。
こうした矛盾点は、先行する複数の書物を集約した際にもとの記述が残ってしまったことが要因なのだろう。


興味深いことは、独りでいるアダムに対し、神は最初他の獣を娶わせようとして彼の前に連れてくる。
しかし、アダムは「自分に合う助ける者は見つけることができなかった(創世記2.20)」ため、神は彼のあばら骨を抜き取り、女を作り上げたのだった。
もしこの時アダムが他の動物、例えば牛を選んでいたとしたら、今頃は男と女ではなく人と牛が夫婦となっていたのだろう。
LGBTのあり方も今とは異なっていて、人と人、牛と牛のカップルというのが性的マイノリティとして存在していたのかもしれない。
あるいは牛になりたい人とか、人になりたい牛が存在したのだろう。


ともかく、世界最初の夫婦となったアダムとエバ。
世界中の人間は先祖をたどっていけば彼らにたどり着くことになる。
ところで、アダムとエバにおへそがあったのかどうかの議論が欧米にはあるらしい。
おへそは母親の胎盤と胎児をつなぐものであるから、最初の人類で母親のお腹から生まれていないアダムとエバにはおへそは必要ないはずである。

その一方で、2人は神をかたどって生まれているのだから、神におへそがあるのなら2人にも当然おへそがなくてはならないと考えることもできる。

それでは芸術家の解釈はどうであろう。
システィナ礼拝堂の天井にミケランジェロが描いた「アダムの創造」(一番上の絵)。
ここのアダムには明らかにおへそがある。

DürerAdamEve.jpg

マザッチオの「楽園追放」(1420年代)、ファン・アイク兄弟の「ヘントの祭壇画」(1432年)、アルブレヒト・デューラーの「アダムとイヴ」(1507年/上の絵)などの他の作品でもアダムとエバはいずれもおへそを持っている。


もし自分におへそが無かったらどうだろう。
何にも困ることはないと思うのだが、きっとどこか寂しく感じることだろう。
画家がアダムとエバにおへそを描いた理由も案外その程度なのかもしれない。



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